音楽と舞踊

 山田耕筰とも縁が深い石井漠をはじめとする”舞踊”について論じている私だが、日本の近現代音楽もとても好きである。音楽でもいわゆる創作に近い作曲がやはり特に関心がある。(勿論、私の時代にはいわゆるDJ論も流行っていたし、周囲はサウンドアートやコンピュータミュージックがバリバリでMaxとかつかって音を出しているような友人が多かった)三浦環や厳本真理、近衞秀麿らが活躍をしている音源が好きで良く聴いている。
 舞踊の新人を見ているのだから、音楽の側の新人も時々見ておきたいのだが、作曲のコンクールの決戦は忙しくてみれないのが実情だ。だが芸大のこれからの新人を楽しむことが出来るモーニングコンサートは楽しめるコンサートだ。そんなわけでこの国の音楽文化、楽器文化に縁が深い東京芸大に足を運んだ。
 芸大フィルハーモニアの前身はベートーヴェン「第九」など数多くの名曲を国内初演した東京音楽学校管弦楽団とのこと。優れた近代の音楽の実演家たちとともに舞踊家たちも活動をしたのだから、今日のダンサーたちも時々音楽の新人をチェックしてみるのもよいだろう。
 戦前から戦後にかけての大田黒元雄や牛山充といった書き手たちは百科事典的であり、舞踊の書き手としても知られていたが音楽についてはこの国の音楽文化に貢献したトップクラスの書き手たちである。音楽のみならず、邦舞・洋舞など、一通りのことは紙媒体に書くことができたのである。また音楽新聞には若き日の吉田秀和や遠山一行が書いていた時代もあった。かつての友人が電子音楽よりだが音楽界や楽壇で活躍をしているのをみると、やはり良き伝統は踏襲すべきだと考えている。舞踊の仕事をしていても指揮者や演奏者が音楽の大御所であることも少なくはない。音楽と舞踊のつながり、村松道弥ではないが”おんぶまんだら”を感じた午後だった。



 そして夜は両国で現代舞踊の会だった。東京は九月になりやや秋めいてきた。折田克子先生の弟子筋の作品を見たこともあり石井漠の名作をむやみに思いだしみたくなってきた。遠くアイルランドの地では伊藤道郎の「鷹の井戸」を現地の人たちが上演することがあるようだ。現代舞踊の古典・名作を上演することは大切なことである。九月になり今年も永田龍雄先生を思い出してきた。
「かにかくに異貌の漠はそのまゝに世におもねずたくみに生きけり」(永田龍雄)

 

2008年第10回モーニングコンサート 志茂嘉彦(オーボエ)、上敷領藍子(ヴァイオリン)
志茂嘉彦(Ob) R.シュトラウスオーボエ協奏曲」 
 ドイツ第三帝国の下で帝国音楽部総裁の地位にあったことがあるシュトラウスがドイツ敗戦後に占領軍のGIとしてアメリカから滞在をしていた若き日のジョン・ド・ランシーから依頼をされたことがきっかけで作曲したというのがこの曲だ。透明感のあるオーボエの響きが美しく印象的な作品である。志茂嘉彦の演奏は若々しくも的確で着実なものだった。911以後の今日の中でこの作品を選んだのにはおそらくなんらかの現代性があったのであろうがそのような意味合いを解釈などで引き出せれば現代における音楽を考えるという意味でのアクチュアリティにも挑めたのではないか。
上敷領藍子(Vn) J.ブラームス「ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77」
 日本でも良く知られているブラームスの名曲。上敷領藍子はこのこの作品が作曲をされた場所で時間を過ごしたことがあるという。特に第二楽章、第三楽章でみせたバイオリンの表情が印象に残った。この弾き手は深い精神風景を刻みだすことができるのが特色だ。そんな横顔がブラームスを選んだ一つの理由となっているのだろう。これからの研鑽に期待したい。
東京芸大奏楽堂)
指揮:広上淳一




ダンスと演劇の国際フェスティバル 第8回 シアターΧ 国際舞台芸術
「VERY SWEET!〜孤独な肉〜」福島千賀子×山本裕
 最近、注目をされだしている山本裕と一緒に踊っている福島千賀子のデュオ。二人の男女が抱き合って横になっている。濃密に絡み合うが、山本が片足で女をつつくと二人は起き上がり踊りだす。福島がターンをしては大地へ崩れるというシンプルなシークエンスを反復させながら動いていく。その傍らで男はがっしりとした身体を活かして雄大に踊っていく。動きと調和を見せる二人の衣装が見事だ。山本はコミカルな作風に逃げてしまうように思えるときがありそれが見ていて歯がゆい。より実直にムーブメントと向かい合うべきである。この作品でもこの要素が二人の間の関係の構成をゆるくしてしまっているのだが近作でみせる姿勢は興味深くこれからに期待をしたいところだ。
「PU-」竹之下亮
 がっしりとした男が舞台に現れるとスローに身体を動かしていく。ユーロな感覚も感じさせるコンテンポラリーダンスだ。照明や舞台美術がとてもシンプルなのだが、このような要素を充実させるとさらなる展望を狙えるはずだ。動きの質感は硬質でタイトな感覚を感じさせもするため作品の構成も課題になる。舞台のみならず日常空間でも踊っているアーティストのようだが屋外のような空間が似合う男性舞踊手であるといえよう。
「いのち-communication- 生あるものとの対話」横田百合子+横田佳奈子(舞踊)
 横田百合子らしい女性的な洞察力を活かした作品だ。娘の佳奈子が傘をさして踊る傍らで百合子は植木鉢の植物に水を与え育てていく。緑のオブジェを棒で差し合って小さな木のようにしていくアイデアは面白い。その傍らで佳奈子は母子の感情世界を描いていく。自然環境というのは日本の現代舞踊らしい着想だ。二人の描く自然に東北の自然や原野が立ち上がってくるとなおよいだろう。佳奈子はかつて「pastorale―田園―」. という作品でシャープな動きを織り交ぜながら自然風景を踊ってみせたことがある。現代のダンサーのソリッドな質感を引き出せるとさらに地平が広がるだろう。二人は同じ傘の下、母娘の足取りを感じさせるように連なって歩き、やがて時空の彼方へときえていく。
「偶然待ち」仲野恵子、藤間宗園(舞踊)
 仲野恵子は小柄なダンサーだ。舞台の上で齢を重ねたダンサーが踊る姿が印象的な作家の一人だ。今回は藤間宗園と一緒に嬉々と踊る。前半は現代舞踊なのだが、後半では邦舞の創作のように和服になり自然の神秘を描いていく。特に演出や構成を駆使しなくても明るく朗らかに踊る姿に舞踊を成立させることができるのが仲野という舞踊家の面白さだ。創作活動を続けて欲しい作家の一人である。
(シアターΧ(cai))