大西茅布展 How Was Chifu Made ?

「大西茅布展 How Was Chifu Made ?」
 2021年岡本太郎賞を受賞した大西茅布の東京初となる個展が開催された。大西は子どもの時からホラー映画をふんだんにみたり、かなり特殊な育ち方をしたと報道されている。グロテスクの背景にあるものを考察し表現にすることが得意とされる。そんな前評から覚悟をしてみにいったのだが、きつかったり見飽きる作風ではない。漫画やアニメーションにも通じるポピュラリティもあり楽しむことができる。
しっかりとした実力で若い女性作家で異端の作風として世にでてきており、その筋には非常に受けるといえる。しっかりとプロデュースされ路線ができていると考えても良い。油絵からでてきており、高校時代はフランシス・ベーコンも好きだったという。この後の活動を通じてこの原風景がどのように変化していくか、その方向性を見守っていくことが重要だ。会場には時代をチェックするためか若者たちも多かった。
(9月2日、文房堂ギャラリー・ボヘミアンズ・ギルドにて同時開催)

谷桃子バレエ団本公演 TMB Company Creation「ALIVE」

谷桃子バレエ団本公演
TMB Company Creation「ALIVE」
 コロナ禍の最中、バレエとは何か、コンセプトを練り人間の普遍的な感情に焦点を絞ることで生まれた公演が行われた。バレエ界では1つのトライアルといえるかもしれない。
 「Lightwarrior」(振付:日原 永美子)はコンテンポラリーなムーヴメントを通じてバレエ・スペクタクルを再構成することを狙っている。馳麻弥を軸に若手ダンサーたちが踊る。ヴィエニアフスキーの楽曲を活かしたシンフォニック・バレエといえる。衣裳の色合いや照明も効果を高めていた。
 続く「TWILIGHT FOREST」(振付:岩上純)は古典「レ・シルフィード」を現代へ翻案しているのだが、キャラクターたちの関係や設定に左右されることなく、現代表現としての視覚的な鮮やかさを大事しながら構成されている。齊藤耀と檜山和久は原作を想い起させる場面を描くが、音楽と共にしっかりとした作品となった。
 「frustration」(演出・振付:石井潤太郎、市橋万樹)ではベテランの牧村直紀を中心に若手たちがダイナミックな動きをみせる。構成は前2作と比べるとややオーソドクスだが、若者たちの演技を楽しむことができる良作といえる。
 ラストの「OTHELLO オセロー〜妻を愛しすぎた男〜」(振付:日原永美子)はシェイクスピアの古典に基づくドラマティック・バレエだ。この作品は各役の心理を現代ダンスの動きと共にどのように作品化するかということが重要となるが心理バレエとしてしっかりとまとめていた。デスデモーナ役の佐藤麻利香とタイトルロールの今井智也の演技、そして三木雄馬の踊りが大きな見所だった。
 歴史のあるバレエ団が新しい時代に向けてさらに発信をはじめている。パンフレットも鮮やかなデザインでトータルなイメージ・チェンジを狙っている。挑戦がはじまっている。
(8月29日、新国立劇場・中劇場)

池宮中夫 - 秋田から東京ビエンナーレまで

池宮中夫は3331 Art Chiyodaにてコラボレーション・パフォーマンスを2021年8月28日に行った。村山修二郎によるインスタレーション「動く土 動く動物」として木の葉による巨大な輪や砂の庭が広がっている。池宮は植物による仮面、緑の衣裳と異界の民のような装いで登場し「動く土 動く植物」がはじまる。会場に壁時計が掛けられているのだが、よく見ていると時間がどんどん逆行し遡っていくという演出になっている。西脇小百合のピアノ演奏と共に男は大地を踏みしめ、文明や神話世界の始原を探るように力強く動く。
 「徒を拾う」2020年10月30日、brick-one)では縁の深い美術家の作品たちが展示をされている中で、その円環を機能させコンテクストを生成していくようなパフォーマンスを展開した。いわゆるインスタレーションから引きづることができる花壇、宙から降り続ける砂のアートなどの中で男が舞う。構成主義的で時にはダダのような荒々しい所作が混じる内容だ。2020年秋になるとコロナ予防をパフォーマンスに混ぜるような作品も登場しだし、池宮が霧吹きからアルコールをひたすら床に吹き続ける場面もあった。
 秋田の鎌鼬の里芸術祭で行われた池宮中夫ソロ「足驅けて稲架けて空だ」(2019年9月21日、鎌鼬美術館)ではコミックな演技が屋外パフォーマンスで喝采を浴びた。竿をもって稲木の上や舞台空間で踊っていた。2000年代の都会派の作風から次第に大地に根差すような作風に変わってきている。
 復刻版『20世紀舞踊』の刊行を経て、池宮はさらに飛躍をしてきている。彼は戦後を代表するダンスのリトルマガジン『20世紀舞踊』を牽引した池宮信夫を父に持つ。ダンサーとして檜健次に創作を、石井みどり折田克子に舞踊を学んだ中夫は多摩美術大学で若き日の中村政人と出会い展覧会を一緒に行う。中村の韓国留学中に池宮も現地で舞っている。やがて村上隆や中村らによる”90年代現代美術”の華々しい台頭と共に展開するアートシーンの中でコンテンポラリーアートとダンス・パフォーマンスをつなぐ役割を果たす。彼に学んだダンサーや美術家、共に活動した才能は多くその足跡と影響が検証されるのはこれからだ。その集大成から目が離せない。
 
 
 

訃報・国貞陽一

「CORPUS」編集委員でご一緒した国貞陽一さんが亡くなった。スキンヘッドが似合うコンテンポラリーダンス・舞踏の保守化に敏感だった人だった。

 
國貞陽一 舞踏&ダンス観察日記

「CORPUS」の1つ1つの評が2010年代の舞踊と新しい観客へ連なっていくことになった。大手メディアは商業主義の売文のような記事が多い。いつも小さな声がのるような新しいメディアの評が、新しい観客をつくっていく―これは「20世紀舞踊」以来のジンクスである。
冥福を祈る。

Noism「春の祭典」

Noism「春の祭典
オリンピック開会式とデモで揺れる東京で金森穣版「春の祭典」が初演された。サナトリウムの様な空間に椅子が一列に並べられている。アルトーカントールに通じるような20世紀現代劇的な演出だ。重々しい雰囲気のダンサーたちが現れると、抑圧からの解放を求める世界が始まり、やがて有名なこの曲が流れだす。彼ら彼女たちのメイクと衣装が見事だ。振付がカオスとカタルシスを導いていく。
ニューノーマルな社会生活が叫ばれる中、格差問題や政治の動向から社会的に不安が立ち込めている。移住をしても、首都圏に残留しても、オンラインでも、対面でも、その選択の方向と意義が問われ、バレエ芸術もまたその最中にある。この時局下において抑圧と解放というモチーフに興奮した客たちは飛沫防止のために歓声を一切上げることはできない。その代わり多くの観客がスタンディングオベーションで応えていたのは、興味深い現象だ。
上演の成功は美術や空間を通じた演出による支えもあるが、民衆の心情を代理表象したような踊り手たちの熱演である。目の前の世界的イベントとデモの背景にみいだそうとしている解放を本作の向こうに見たからではないだろうか。このタイミングでみる事ができ嬉しい。決定打といえるような上演であった。
(7月25円、埼玉県 彩の国さいたま芸術劇場 大ホール)
加藤 みや子、羽月 雅人、他17人
 

日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」2日目

日本バレエ協会「全国合同バレエの夕べ」は2日目をみた。今年のダヴィッド・リシーンの「卒業舞踏会」は録音音源を用いている。演出に工夫を凝らし、細かなドラマを多く盛り込むことでしっかりとした上演を導いていた。下級生を描いた斉藤耀・佐藤祐基、水友香里・守屋高生、鼓手の牧村直紀らがしっかりと盛り上げた。今年のフェッテ競争は巧みな荒木彩とフレッシュな藤野未来だが1つの見どころといえる。
 井澤諒が振付・指導をした「パキータ」は渡辺恭子や横澤真悠子、百田朱里を楽しむことが出来た。玄玲菜「La forêt」は名曲と共に象徴主義的な作風を楽しむことができるスペクタクルだ。ラ・フィーユ(林田まりや)とラ・メール(竹中優花)を軸に関西の踊り手たちが情景を彩った。
 コロナ禍の最中とは言え全国のバレエ界の動向を感じ取ることが出来る内容だった。苦難の中でもバレエ芸術を続けていくことは重要だ。
(8月8日、新国立劇場・オペラパレス)

追悼・長谷川六

追悼・長谷川六 
山野博大がコロナ禍の2月に他界した翌月に長谷川六が3月ひっそりと旅立った。
長谷川は高等師範(現・筑波大学)の先生で警察も指導していたという剣道家の家に生まれた。本人も剣道はたしなんだことがあるというが、芸術の道を選ぶ。女子美術大学では彫刻を学び、同級生に児童舞踊の賀来良江がいた。後輩に岡本佳津子がいたが、岡本は学校ではなくバレエを選んだ。学生時代にこの仲間たちと砂川闘争などにも接した。この学生時代の仲間たちとは後年まで個展などを行うこともあった。1957年夏に世界青少年学生友好祭に芙ニ三枝子、石井かほるらと共に参加しモスクワに滞在したこともあり、この時に「半島の舞姫」として知られる崔承喜と接している。やがてある男性のジャズダンサーが”お目当て”で足を運んだ全日本芸術舞踊協会主催第6回新人舞踊公演(1959年5月24日、第一生命ホール)で土方巽の「禁色」と出会い大きな衝撃を受ける。舞踊について書き手が少なかったこともあり、少しづつ書き始めるようになった。そして1967年に業界誌の「モダンダンス」を30代頭に刊行する。当時、池宮信夫や山野博大、うらわまことらによる戦後派発の舞踊メディア「20世紀舞踊」がすでに舞踊界にニューウェーヴを起こしていたが、長谷川のこの雑誌がそれに連なり新世代の渦をつくりだしていく。この業界誌は1976年に「ダンスワーク」と改称する。当時、エドウィン・デンビーの様にこの語を用いる批評家はいた。執筆や編集の傾向は、前衛を扱う業界誌であり、桜井勤や山野博大のように全体を視野にいれて活動するというわけではなかった。現場で写真撮影をすることも少なくなく、土方巽などの写真の重要なものの中には長谷川のものもある。
戦後日本のダンス・アートの立場を高め、世界へ発信できるようにするために尽力をし続けた。また活動した時代が1970年代のように戦後の洋舞界の非常に良い時期だった。結果として、舞踏をはじめとする戦後派の才能の一部が欧米のアートシーンの中枢に食い込むようになってくる。日本で社会的にあまり知られていないが欧米では知られている才能たちが台頭するようになった。その基盤のような役割を結果として担うようになっていた。「ダンスワーク」の紙面には彼らを支えることになる、戦後の身体思想の影響を受けた論考が多く掲載されていた。
長谷川の功績は、編集などで活動を共にすることが多かった堀切敍子によると、それまで男性が多かった舞踊評論の中に女性の書き手の場をしっかりと確立させたということだ。また市川雅の評論集「行為と肉体」(1972)の編集でも知られ、市川とのパートナーシップは戦後のポストモダンダンスや舞踏の登場とともに黄金時代を築くことになる。彼女は自ら踊りを学ぶこともあり、芙ニ三枝子や笠井叡に学び、自作を発表したり作品に出演することもあった。踊るときは長谷川一五(いちご)などユニークな芸名を用いていた。加えて独学で建築士の資格を取得し、自ら設計した家に住んでいた。どの部分か明確ではないが、森下スタジオの図面を引いたのは自分だと本人は語っていた。
やがて長谷川は市川と袂を分かつことになる。市川についていった書き手の多くが彼の方向性に沿うように90年代以降のダンスブームの中で、コンテンポラリーダンス・舞踏やバレエの評論を担うことになるが、長谷川も自らの方向性で活動し、最晩年まで雑誌の刊行やダンスに関する企画を重ねた。ポストモダンダンスや舞踏の黎明期から現場で活動をしていたため、今日からみれば、市川系列の仕事のみならず、その原点の一部に存在する長谷川や仲間たちの仕事も視野に入れて考察することが重要といえる。一連の評論家たちが活動をする場をジャーナリスト・編集者としてしっかりと構築してきた。彼女が身銭を切って海外のアートやダンスの情報を収集し続けたことが、今日の洋舞界にとっても大きな糧となっている。
長谷川はダンスの学校をつくることを夢としていた。そこで実際にPASダンスの学校をつくり、運営したことも大きなことだった。これは個人的な関心というよりは市川との見解の違いでもあった。長谷川は日本のダンスを考えるうえで、教育や学校から変化をするべきだと考えていた。市川の様に1990年代までの日本の公的な舞踊教育の場としての学校でのカリキュラムに飽き足ることなく、根源からカリキュラムを考え実行しようとしていた。同じようにこちらでも身銭をきって運営し笠井叡や、石井かほる、山崎広太などの講師をゲストに迎え、バレエ、モダンダンス、ジャズ、コンテンポラリー、オイリュトミーなど、幅広くクラスを展開した。この学校はこの国の中でも独自な存在だった。しかし舞踊教育の側からは冷たくもされていた。しかしこの私財を投じて実装した試みからは何人もの人材がでてきた。ジャーナリスト・編集者としての活動のみならず、雑草のような強さと行動力で、洋舞界で様々な試みを形にしてきたということができる。冥福を祈る。
 
追記1
90年代に三浦雅士が「ダンス・マガジン」の編集長になったり、市川雅がいろいろな才能をダンス界へ入れてきた経緯で、市川系列のように動いていた批評家・研究者たちからは長谷川は常に攻撃されていた。市川が長谷川のオルガナイズしたり場を立ち上げる力を怖れており、「長谷川は気をつけろ」といっていたぐらいだった。保守的な石井達郎や長谷川より若い党派的な國吉和子は市川に言及しながら常に長谷川を攻撃していた。しかし長谷川は前向きだったのも事実である。1960年代後半以降のダンス批評を考えるうえで、市川だけではなく、長谷川とのバランスの変遷を考えることは意義がある。
 
追記2
「戦災により上の年代は中川鋭之助と池宮信夫ぐらいしかいなかった」(山野)というが、戦後という疾風怒濤の時代を生きた1950年代の若手は貪欲で土方に象徴されるように「自分のものは自分のもの、人のものも自分のもの」であったと指摘する声もある。
60年代の反体制派の山野、若松美黄、長谷川を並べてみて、彼らが成したことについて考察してみると、戦後の新体制と一時代を築いたのは事実と考えられる。戦前の舞踊界の系列と因習に対し時に反旗を翻すこともありながらも新しい時代と方向性を生みだしてきたところがあった。しかしアジテーターとはいえ逆にこの3人はいずれも派閥のようなピラミッドを再び作り出してしまい、最終的には自分たちの利害を守るために必死になっていた。ポストモダンで語られるような新社会像のネットワークやノマドとはまた異なっていた。結果的に自分たちもかつて批判した舞踊界の大家のようにになってしまった”いわゆる案外古い人”たちだった。土方のように芸術界の既存の価値をひっくり返そうとし続けた才能と比べると、洋舞界の新保守として生き、最終的に”洋舞界のみで通用する大家”に陥ってしまったのも事実だ。