三宅悠太、瀧村依里

2008年第7回モーニングコンサート 三宅悠太(作曲)、瀧村依里(ヴァイオリン)
 東京芸大の在学生たちによるモーニングコンサートは大体いつも会場がいっぱいになる。彼らのうちの何人かは舞踊界とも接点を持ち、ダンサーとも仕事をすることになることになることを考えるといつも興味深い。
 作曲の三宅悠太「打楽器とオーケストラの為の『響奏』」はマルチパーカッションと二管編成のオーケストラによって上演される。打楽器を演奏することから生まれてくるパフォーマンス性を意識しながら、和と洋のコントラストを強調し、次第にそこに民俗的なリズムが加わってくることによりグローバルさを感じさせるという展開の作品だ。和の表現を戦前の橋本國彦のような日本的な地平にも着地させず、戦後の現代音楽家たちのようにエスニックやバナキュラーといった要素を志向していないのがこの作曲家の姿勢の興味深いところだ。ダンスではアフロコンテンポラリーがこのところ脚光を浴びているがそれに近いベクトルも感じた。日本社会は現代舞踊のみならず現代音楽と現代詩の新人に対して理解が薄いが、現代音楽の新人とその創作の方向性を見つめ続けることも重要である。
 一方、瀧村依里はJ.ブラームスの「ヴァイオリン協奏曲 二長調 作品77」に挑戦した。瀧村が子どもの頃に体験をした阪神淡路大震災の時に母親から聞かされたのがこの曲だった。いわゆるカタルシスと音楽というテーマでは取り上げられることが少ない曲でもある。とはいえコンピュータミュージックやサウンドアートまで台頭している現代の多様なモードにとらわれずに豊かな表情を持つ様々な旋律を的確に演奏するこの音楽家の姿勢と選曲には通底するものを感じた。特に第二楽章の"Adagio"が印象に残った。
 音楽と舞踊は大田黒元雄や今日の東京芸大で教鞭をとったこともある牛山充、そして音楽・舞踊・楽器ジャーナリストだった村松道弥のように近代からお互いに密接に接点があった2つのジャンルである。”洋楽”は1930年代まで社会的にメジャーではなく、それを日本社会に根づかせるためには、洋舞同様に出版・ジャーナリズムを通じた彼らの努力があった。バレエでは当時は情報がないなかアーティストたちは苦労を重ねており、戦後になって本格的な作品が上演されるが、オペラや洋楽ではこの時代には本格的な上演が試みられてきた。今日では洋楽がメジャーだがこの時代から邦楽でも新しい試みが積み重ねられてきたことも見落としてはならない。舞踊批評を書いている私もこの国の音楽の行方を楽しみにみつめたい。若き作曲家と演奏家が切りひらいていく新世紀が楽しみだ。
東京芸大奏楽堂)