「二〇〇九年のバレエ」

「二〇〇九年のバレエ」   
吉田悠樹
 二〇〇九年のバレエは不況の中とはいえ多くの公演が行われた。新しい時代の潮流を見据えることが求められてきている。
平成二〇年度新国立劇場地域招聘公演
法村友井バレエ団「アンナ・カレーニナ」
「アンナ・カレーニナ」はロシアを代表する物語をバレエ化した作品だ。振付・演出は物語バレエの名作で知られるプロコフスキーだ。次世代プリマとして将来を嘱望されている法村珠里が主役のアンナを描いた。冒頭、巨大な機関車が現われると目の前に宮廷が広がる。主人公とウロンスキー(ヤロスラフ・サレンコ)は次第に惹かれあう。その一方で主人との関係や子どもも登場する。しかし女は愛へ走ってしまう。ロシアの情景が流れていく。二人は愛し合うがやがてその間にいさかいがおきる。人間心理は冬の景色へ消えていく。二人の感情を刻みだすアダージョは見事だ。豪華な社交界の踊りが繰り広げられている。そのなかにヒロインがはいってくる。パーティーの中で珠里は孤立する。その描写が迫真といえる。やがてヒロインは会場を逃げ出す。混乱の末、子どもと抱き合う。しかしその間を夫に引き裂かれてしまう。孤独の中で狂い、女は走る。そして女の姿は汽車の向こうへ消える。珠里は初々しいが表現力や技術という面では充実をみせていた。
(一月一一日 新国立劇場 中劇場)
ユニット・キミホ公演Vol.2 「White  Fields」
 キミホ・ハルバートの新作は人間の生きる事、その意義を詩的で女性的な感性から捉え描いた作品だ。
 開演前からペインターが舞台を横切る透明な板に色を塗っている。暗転してハルバートが登場する。宙に手をかざしてゆっくりと動く。ダンサーたちも登場。男女のペアが鋭くシャープに動いていく。円形の空間を活かしながらダンサーがパフォーマンスをみせていく。大貫勇輔は成熟をしてきた。佐間草も溌剌と情景を彩る。ピアノの音が響きだすと大気や風土が立ち上がってくる。西田佑子と芝崎健太が初々しい若者の姿を描いていく。
やがて第二部ではスポンジのような美術を用いながら踊り手がパフォーマンスをしていく。ハルバートは乙女のような表情をみせる。アンサンブルが舞台を盛り上げていく。作間草の情感、クラシックの音感を感じさせる西田の表情のコントラストが見事だ。やがて正面に再び透明な板が中空から下りてくる。ダンサーたちが白い絵の具に作品冒頭のように再び触れる。指が作りだす「白い領域」の軌跡へ立ち返っていく。ハルバートの創作でのこれからの展開が楽しみだ。
(一月三一日 マチネ 青山円形劇場
新国立劇場バレエ団「Ballet The Chic」
新国立劇場バレエ団はコンテンポラリーダンスを上演した。冒頭を飾ったのは定番ともいえるバランシンの「セレナーデ」だ。バレエ批評家のデンビーが数学の線と点を例えに用いながらネオクラシックという概念を論じたバランシンの作風を感じさせる名作である。古典から現代へという伝統を感じさせる演目にうっすらと男女の物語が織り込まれている。中でも目を引いたのは寺島ひろみだ。上品な表情で踊りを盛り上げた。さらに厚木三杏もベテランならではの表現をみせていた。厚木のモダンは興味深い。日本人のアーティストとしては井口裕之「空間の鳥」が上演された。赤い布をまとった男性ダンサーたちが舞台いっぱいに広がる中、ホリゾントには赤いラインが映えている。貝川鐵夫や江本拓、そして八幡顕光らが強いムーブメントをみせていく。がっしりとしたモダンとバレエの接点を狙ったムーブメントなのだが、彼らをスクエア上の照明がつつんでいる。やがて中空から布が振ってくる。女性(真忠久美子)が現われるとうっすらと男女の物語も立ち上がる。オリジナルな表現が立ち上がってくるのが楽しみな才能だ。このバレエ団らしいセレクションも目を引いた。ナチョ・デゥアト「ポル・ヴォス・ムエロ」は過去にこのバレエ団が上演したことがある作品だ。二つの赤いカーテンの柱が光る前でダンサー達が踊っていく。キリアンに学んだデゥアトらしいモダンとバレエの接点を感じるようなムーブメントだ。そこにスペインの詩と風土が絡んでいく。ドラマと肉体の二つで魅せる作品である。湯川麻美子の上品で華麗な演技、新人の小野絢子のフレッシュな表情がまぶしい。最後を締めくくったのはトワイラ・サープの「プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ」は溌剌とした踊り手たちがアメリカの風土を感じさせる。今回の目玉の作品だ。デニス・マトヴィエンコや本島美和を軸にコミカルにダンサーたちが音楽に沿って踊っていく。川村真樹の溌剌とした踊りが一際目立った。
(三月二八日 マチネ 新国立劇場 中劇場)
NBAバレエ団 バレエ・リュス・ガラ
 日本にはバレエ・リュスの名作は多く入ってきている。しかし戦災など歴史的な経緯の問題から二ジンスカの作品など一定の時期のバレエ・リュスの作品はこの国へまだ入ってきていない。待望の「レ・ビッシュ」の上演が行われた。画家マリー・ローランサンが美術・衣装を手がけている。背景には青い空があり、白いパステル調のドアが描かれている。ブルーのソファーが視覚効果をあげている。頭に飾りをつけたダンサーたちが一斉に踊りだし軽快なエスプリ溢れる踊りが舞台に広がっていく。ネオ・クラシカル・バレエだ。体操服姿の男性たちも登場。女と男がそれぞれ踊る。やがて紫の衣装に白タイツ、白手袋を着たマリア・アイシュヴァルトが現れる。幻想的な情景だ。男女の踊りが流れると、黄色い片手に煙管をもった女も入ってくる。洗練された芸術性の高い作品だ。
 冒頭に上演された「ショピ二アーナ」では将来が嘱望されている秋元健臣が健闘を見せた。ラストを締めくくった「ポロヴェッツ人の踊り」では中欧世界が目の前に広がる。肉体の躍動感を活かした振付が心地良い。
(二月二二日 ゆうぽうとホール)
新国立劇場バレエ公演「ローラン・プティコッペリア
 新国立劇場バレエ団はローラン・プティ版の「コッペリア」を上演した。古典として知られている作品を舞台美術も振付も大規模に改定し、モダンな振付にしている。音楽もフランス的に軽快なものだ。
 今日のキャストは寺島ひろみがスワニルダを、フランツを山本隆之が踊った。コッペリウスをゲンナーディ・インリンが演じた。開演と同時に軽快な曲が流れ村人たちが背景に現われる。スワニルダの友人たちが現われるとモダンな振付を踊る。寺島が登場する。明るい雰囲気を持った女性としてまとまっている。舞台には村人たちが現われ盛り上げるも役柄や原作に捉われないつくりだ。オリジナルと比べると単調にもみえるのだが、難なくまとめフランスらしい世俗的な要素や軽快な表情を織り込んでいるのがこの版といえる。
第二幕では宙に現われる本物の人形が床に降りてくるとコッペリウスの人形部屋が登場。コッペリアと友人たちが一列に忍び込んでくる。戸棚には人形の部品が登場する。フランス人らしい秘教的でスノッブな演出だ。コッペリウスが人形を相手に踊る。やがて山本が忍び込んでくる。コッペリウスと男は向かい合い、やがて眠り込む。すると背後から寺島が登場。人形が人間になるというユーモアと寺島のかわいらしさを引き出している。チャーミングに明るく寺島が踊る。女は眠ってしまった山本を目覚めさせようと腐心する。そしてラストの結婚式のシーンへ。チャーミングに軽快にダンサー達が踊っている中心では、寺島と山本が明るく踊る。コッペリウスは光の中に立ち尽くすのであった。スワニルダの友人たちの中では西山裕子や丸尾孝子らが活躍をみせていた。プティの演劇的な要素とその醍醐味が活きている作品だ。
新国立劇場オペラ劇場六月二七日マチネ)
谷桃子バレエ団 「ジゼル 全二幕」
 戦後日本のバレエ界を代表するバレリーナの一人である谷桃子が踊った多くの主役の中で最も優れていたといわれているのがこの「ジゼル」だ。バレエ団の六十周年を記念する企画の一貫としてこの名作が上演された。
このバレエ団の「ジゼル」はレニングラード版に基づいている。ドラマティックでポピュラーなテイストが印象的だ。戦後のバレエブームの中で日本人に愛されるバレエを数多く送り出してきたこの団ならではの創意が様々に活きている。これからが嘱望されている緒方麻衣がタイトル・ロールをアルブレヒトを三木雄馬が踊った。第一幕最後のジゼルが苦しみ死ぬシーンでは緒方の清楚で可憐な持ち味と芸術性の高い世界が活き抜群の表現が引き出されていた。さらに第二幕では林麻衣子のミルタもしっかりとした演技を通じて活躍をみせた。
全体を通じて長年舞台美術で活躍をしてきた橋本潔の美術が活きていた。幻想的でありながらしっかりとドラマを演出し、戦後という一時代を感じさせる仕上がりであった。
(一〇月一一日マチネ 新国立劇場中劇場)
シルヴィ・ギエム&アクラム・カーン・カンパニー「聖なる怪物たち
 バレエとインド古典舞踊―古典舞踊を極めながらもコンテンポラリーダンスでも活躍する二人の巨人ががっしりと向かい合った公演が行われた。交差する二人の視線と肉体から繰り出される世界に客席は沸いた。
白い抽象的な舞台美術の空間の中でインド舞踊を極めたアクラム・カーンとバレエのシルヴィ・ギエムが踊る。足を踏みならしカーンがスピーディーに回転をするとコンテンポラリーダンスのムーブメントをみせてダイナミックに舞う。するとギエムがオリエンタルに動く。この動きの振付はアジアを代表する振付家のリン・ホワイミンによるものだ。その滑らかな動きには東洋的な間はみられない。むしろ細やかな動きを通じた表現だ。やがて言葉を通じた二人の対話がはじまる。お互いのエピソードや古典を踊る意義が語られていく。カーンのスピーディーな回転をスパイスのようにきかせた動きが見事だ。時には関係を感じさせるように激しくきしみ会うときもある。男が立ちつくすと、ギエムが両足でその腰に絡みつくというポーズはクライマックスの一つだ。達人の対話たちは時を刻み見るものを至高の境地へ誘っていく。
(一二月一八日 東京文化会館