法村友井、谷桃子

 大阪のバレエ団の法村友井バレエ団の公演が新国立劇場で行われた。数年前に社会的評価を受けて話題をまいたアンドレ・プロコフスキーの「アンナ・カレーニナ」に注目が集まった。今日の配役は主役を主役デビューを昨年飾った法村珠里*1、対するウロンスキー伯爵をヤロスラフ・サレンコが踊った。2008年度には芸術祭新人賞を高田万里が受賞するなど活気があるバレエ団の一つということができる。*2

平成20年度新国立劇場地域招聘公演
法村友井バレエ団「アンナ・カレーニナ」

新国立劇場 中劇場)
振付・演出:アンドレ・プロコフスキー
衣装・美術デザイン・ピーター・ファーマー
衣装・舞台美術制作:オーストラリアバレエ団
アンナ・カレーニナ:法村珠里
ウロンスキー伯爵:ヤロスラフ・サレンコ(NBAバレエ団)
アレクセイ・カレーニン:柴田英悟(ミノリバレエスタジオ)



谷桃子先生の米寿を祝う会

 戦後を代表するバレリーナの一人、谷桃子先生の米寿を祝う会とバレエ団設立60周年を祝う会が東京は銀座で開かれた。1946年の第一次東京バレエ団による「白鳥の湖*3は日本にバレエブームを引き起こすことになる。その2年後、小牧正英の小牧バレエ団から戦後の若者たちの第一次独立組が独立をする。戦後の創作バレエの原点にしばしば位置づけられる「失楽園」(1950)を上演した横山はるひと、グループとして後に谷桃子バレエ団となる東京バレエ研究会(大滝愛子、長谷川訓子、内田道生、有馬五郎、田中五郎)である。その2年後に谷桃子バレエ団が設立されることになる。*4谷は第一次東京バレエ団時代から戦後を代表するプリマとして活躍をしていたが自らの団と共に活動を開始し、以来1974年の引退公演「ジゼル」(全幕)まで活躍を重ねる。その後も様々な活動で日本のバレエを導き支えてきた。
 米寿の会では幼少の戦前時代からの知己である牧阿佐美、熊川哲也、舞台美術家の妹尾河童、舞踊批評家の山野博大、指揮者の福田一雄らが挨拶をした。”大正11年に神戸の聚楽館で来日したアンナ・パヴロワを幼少の頃の谷桃子は見ている。同じ時にまだ13歳で後に映画評論家になる淀川長治もいた。”そんなエピソードを山野は紹介をしなが同時にその活動から引退まで全部みてきたということもスピーチで語っていた。若き日は現代舞踊の原点にあたる石井漠・小浪の石井小浪に多くを学ぶ。*5やがて日劇を経てバレエを学ぶようになり”ウラノワのような精神性を持っていた”と語られこともある踊りで戦後のバレエ界をリードした。門下から巣立った今日のバレエ界を支える様々な面々が集まった。
(銀座東急ホテル

*1:http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20080614

*2:http://www.sanyo.oni.co.jp/newsk/2008/12/19/20081219010004991.html

*3:http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20070809

*4:小牧バレエ団から続いて独立をするのが横井茂らによる東京バレエグループだ。戦後の若者たちによるバレエがこの時代にはじまろうとしていたのである。

*5:戦前に現代舞踊を学んで戦後にバレエを志したバレリーナは多い。太刀川瑠璃子や雑賀淑子をあげることができる。今日の昼に見ていた法村友井バレエ団も原点では現代舞踊と重なってくる。