新上裕也

 失われた15年、そして世界同時不況の今日だが、美術雑誌では何故かオークションが取り上げられることが多い。数年前に「市民コレクター」という言葉が美術界では流行していた。とても平たく言うと美術愛好家で美術品を収集している人たちのことである。現代美術を集めている市民も少なくなく、その存在は重要なものである。いわゆるある程度価値が定まってきた作家以外にも新人作家や若手作家の作品をコレクションしている人もいる。オークションでは流行の現代絵画や欧米の名作家のアーティストが取引をされることがあるが、日本の現代作家の作品も出ているオークションに立ち寄った。*1不況の中だが現代美術の作品が取引されているのをみる。これも東京のアートワールドの一側面である。
 東京で暮らすようになって仕事の合間に散歩をするようになった。今日はオークションを皮切りに銀座の画廊をまわる。馴染みのスペースの一つが引っ越してしまったようだ。資生堂ギャラリーでは結晶をつかったサイエンスアートを展示することで知られる宮永愛子エルメス・ギャラリーではポップでパンチがきいたアラン・セシャスの展覧会「夜と昼」が催されていた。

 私は20代の頭の頃は現代美術に関心があった。その時代にDumb Typeの「S/N」なども見ていたが圧倒的に美術に関心があった。マルチメディアが出てきたり電子ネットワークが出てきた時代なので、写真や映像をいじっていた時期もあったし、当時はアーティストユニットというのが流行っていて、匿名アーティストユニットのIdeal Copyなどを見ていたことから、P3 art and environmentのmetaTokyo Projectを通じて匿名ユニットでアートカフェのオルガナイズなどをしていたこともある。この時代から一貫して身体表現や身体性に関心があった。そして舞踊研究者・舞踊批評家になる。しかし今日でも現代美術は興味がつきないジャンルである。オークションなどに足を運ぶとそんな昔を思いだすこともある。


新上裕也DANCE SHOWCASE「ZOO」
新上裕也はこのところ様々なシーンで活躍してきたが、出自というべきジャズダンスのジャズ・コンテンポラリーともいうべき作風に戻ってきた。
仮面を被ったダンサーたちが舞台の蔭から上がってくる。肉体たちはスピーディーに動く。神話世界が始まる。ジャズダンスならではのスペクタクル性の強い作風だが構成はコンテンポラリーダンスといえる。舞台上では近年の作風にしっかりと支えられた力強いムーブメントと躍動する肉体が展開していく。新上はトータルに表現者といえるだろう。明るい装いの八子真寿美がゆっくりと動くと山田海峰も現われる。八子の明るい表情と山田の身体性がそれぞれ活きている。
やがて舞台の上には鈴木陽平が登場する。長身の男の肉体から野生的なシャープな動きが引きだされドラマティックな効果を作りだす。対照的に新上の表情は静かにもみえる。性を超越したような両性具有の美しさも持っている二人だが鈴木の男性像が男性的、新上が女性的とコントラストが打ちだされる。男性ならではの官能が描かれた。
やがて椅子に座った白い女たちが現われる。女たちは明るく騒ぐ。すると池田美佳がくっきりと力強く動いていく。池田美佳は今日『舞姫』という名前で呼びうる新人女性舞踊手である。高瀬譜希子と池田は次世代の中核を成すダンサーだ。この新世代のスターの輝きを作家は限りなくスィートにそして力強く切りだしていく。新上はジャズダンスならではの演出を活かしながら情景を的確にまとめてみせた。
続いて照明の中に現われた白い鉢の中の水と新上が戯れる。するとダンサーたちも手に水を持って舞台上・下の空間を彩っていく。新上と鈴木を軸に表現者たちがしなやかに舞って終演した。
ジャズ・コンテンポラリーのライブ感とスペクタクル性とコンテンポラリーダンスの力強い構成の融合を狙った作品だ。アルカイックなイメージを意識した作風で現代の神話を描きだした。ポップなテイストと現代アートの文脈と絡むとその表現の射程は広がり大きく加速をするだろう。次世代をにらんだ作家の舞踊表現の方向性と飛躍が楽しみだ。
(ソワレ 青山ベルコモンズ クレイドホール)
振付・構成・演出 新上裕也
振付 鈴木陽平
出演:山田海蜂、浜手綾子、大真みらん、八子真寿美、池田美佳、森田淑子、本田香織、鈴木陽平、新上裕也 他