明大前、及川廣信

 生まれてはじめて明大前で下車した。久々にある知人と再会を果たした。明大前の駅前の喫茶店に入り最近の国内外の舞踊界の動向について話す。明大前は若者文化が溢れているスポットだ。街行く人々に活気のある街でいろいろ面白そうだ。もし物価や地値が安かったら若者たちにとってはいごごちの良い街で持久戦が出来そうな場所だなと思った。いつも舞台で見ている現代の若者たちはこんな風景の中で活動をしているのだろう。その心象風景を感じた夕方だった。
 及川廣信の公演がそろそろ始まりそうな時間帯になったため、駅界隈を散策しないですぐに劇場に向かう。会場となるキッド・アイラック・ホールのビルの中にはきれいな本棚があるカフェテリアがあった。終演後、居酒屋で軽く飲む。東京は例年より暖かく、そろそろ忘年会シーズンになってきている。バレエでは例年通り「くるみ割り人形」の上演が各バレエ団ではじまっている。今年も楽しみなシーズンになってきた。


及川廣信「アートは症状である―おくのほそみち―」Vol.2

 今日、及川廣信の存在は伝説である。土方巽大野一雄笠井叡に影響を与え、勅使川原三郎とも影響関係があるこの作家は大正生まれで現代では80代と高齢である。その舞台を生で触れることができればと思っていたのであるが実際に見ることができた。
 会場となったキッド・アイラック・ホールはビルの中にある小さなスペースだ。舞台の左手には円形の階段があり、舞台全体に大きな布が張られている。プロセ二アムがあるような大中劇場が作り出すようような遠近法の構図を舞台装置や演出から明確に壊そうとしている、《反・スペクタクル》とも解釈を出来る舞台演出だ。
空間に張りわたされた布の上部に街路や河川など荒川河川敷のような都市東京の一般的な日常風景が投射をされ作品が始まる。背後にはジャズのトランペットがうっすらと響いていく。『マクシミング』と題されたシーンでは山下浩人が登場する。長身で髪を後ろでたばねた目鼻がきりりとしたこの男は白いズボンに紺色の上着をまとっている。男の前に電球が宙から降りてくる。すると電球の前で男は肉体を開き、ゆっくりと身を走らせて行く。男が作り出すそのイメージは勅使川原が“稲垣足穂が好きだ”と語り、少年のような純粋な科学的理念を描く作風とも重なってくる。動きの質感が影響関係があるだけあり似ているのだ。仮にダンステクニックや俳優のための演技法が既成の表現を作家の中に構成していくと仮定するならば、及川の動きはマイムの所作を通じながら、演者の持っている思考や世界を外部へと開いていくような持ち味がある。宙を見つめる男が、一点を見ながら腕を宙に走らせ胸や腕など上体を次第に開いていく。踊りを見る側の目には次第に電球の光が焼きつき、その残像が残るようになってくる。ロマンティックなピアノ曲とともに男は下を向きうつむき、ゆっくりと動いていく。続く『ユミィニティ』ではしっかりとした肢体を持つ村田みほ子が現れる。両腕を大きく伸ばし、上体を床に平行にしたかとおもうと、ゆっくりと上体や腕を動かしていく。マイムだと具象や抽象で表現対象を描きだそうとするところだが、肉体は観念を内側に秘めながらゆっくりと動いてく。バレエやモダンダンスだと表現として動きを外部に放出しようとするところなのだが、内面に動きをこめるようにしながら動く肉体がつくりだすイメージはプリミティヴであり、かつ力強さを感じさせる。ダンスとマイムの間で身体表現の脱領域化を狙おうとしている作風だ。床に身を横たえ丸くなるようなポーズは作家のイメージの始原を感じさせもする。続いてがっちりとした肉体が切り出すアクセントのくっきりとした動きで『琴線』を浅沼尚子がスタート。概念や理念を描写するという意味ではこの作品は近代的な発想とともにあるといえるかもしれないが、床の上を身を走らせながら、ポーズを切り替えたり意識から身体をコントロールしているような情景はうっすらとした力強さと強度を表現に与えている。やがて布の切れ間から及川自身が登場する。長身でとても美しい足を持つ貴族的な風貌の男はゆっくりと手足を動かしていく。白いスーツを着た男の秘める表情はシアターアーティストならではの孤独と孤高を感じさせる。やがてビデオ映像が再び上映されはじめる。作家はその前にたたずむ。やがて一人の男がカメラを持って現れ及川の姿をカメラに取り込む―するとその背景に及川の姿が映像で登場し、曼陀羅のような異界が立体的な上演空間に展開していくのだ。作家は時代に先駆けてメディア・パフォーマンスに目覚め、多くの舞踏家たちと活動をしていた時期もあった。この作品はリアルとヴァーチャルの間の表象“Representation”をテーマに設定している。作家が円形の階段を上がっていくと、上から男は横一線に長い細い金棒を持って立ち舞台美術の一部を叩く。金属音を立てることと横に長い棒を使って、3次元空間の中に演者の身体がはまりきることを一瞬壊す。すると再び及川は床に降り、CGが生み出す異空間の中に現れる。やがて清らかに流れ落ちる滝のイメージが静に情景いっぱいに投射をされて異空間は遥か時空の彼方へと消えさっていく。
 回顧でも一時代の美意識でもなく80代になった老作家の現在がここにあった。その意識が作りだす過去の自身の表現様式に頼らないようにする一定の強度と芸術表現に対する潔さは高橋彪の近作にも通じるものがある。作家はそのバレエを若き日に踊っていたが、54年にフランスに留学しパントマイムを学んだ。土方、大野、笠井らに対する影響はしばしばダンスで指摘をされる。しかし舞踏とは袂を分かった。日本にパントマイムを紹介したという文脈でも大きな意義を持っており、80年代にはいち早くメディア・パフォーマンスを展開している。勅使川原との関係は海外でも知られておりコンテンポラリーダンスにおいても大きな意義を持つ存在といえるだろう。いわゆる“オリジネーター”や“知る人ぞ知るアーティスト”であるというべき存在だ。
 マイムから着想を得て活動をしている作家だが、肉体の向こうの闇を問題にした舞踏とは異なり、自身の中に形而上学アルトーへ連なる重層的なイメージを見出していくなど独特の世界観を持っている。その姿は優雅なダンディでもあり、土方が“ムッシュウ“と呼んでいたというエピソードを思い出させる。マイムから派生をしている動きはごくごくシンプルだが、舞踏や多くのコンテンポラリーダンスの作家たちに通じるものがあり、映像で残されている土方や大野、そして現代の勅使川原の動きの源流の一つを感じさせ、多くの作家たちの表現を記憶の中で参照させながらも、独特の光を帯びているということができる。今日でもマイム出身のダンス作家たちは少なくない。表現の向こうにある強固なイメージは昨今の若手にないものといえ、言語を媒介にした強靭なロマンティシズムと舞踊論(もしくは身体表現論)はバレエの高橋や厚木凡人、舞踏の土方、大野、笠井といった50年代60年代の青年たちにも通底するものがある。現代の若者で及川に似ているというならば言語世界で近い広がりと明確な概念世界と作品表現の間の対応関係を感じさせるイマージュ・オペラの脇川海里だろう。現代の身体表現を論じる上でかかすことが出来ないメルクマールでありその足取りと重要性は認識されるべきだ。

(キッド・アイラック・ホール)