大串孝二

大串孝二 ラスコープロジェクト
ラスコー解読 VOL.17「風土幽体」

 ラスコーの壁画から受けたインスピレーションに基づくアートパフォーマンスを通じて活動を重ねている大串孝二の公演が行われた。今回は及川廣信と若者に人気があるオトギノマキコも出演した。開演前からオトギノの顔の映像がプロジェクションされている。女は飴玉をなめたり日常的な表情を繰り返している。やがて椅子に腰掛けた及川と大串、そしてオトギノ本人が登場する。及川は本を読み、大串は机の上にチョークで落書きをする。その傍らをオトギノがゆっくりと動いていく。その様子を舞台上方からカメラが撮影していて背景に投射していく。人間が対象を認知する構図をメディアを使って分解して見せたりその面白さをみせてくれる演出だ。大串の作品制作の原点がラスコーの絵画をみることによって人間の認知の始原に関心をもったということもあるため、その発想が良く伝わってくる。やがてオトギノが両手両足を水の入った洗面器に浸してパフォーマンスをしてみたり、及川が床に広がって積み木をつかってプリミティブな行為を繰り広げていく。及川はパフォーマンスを日本に大きく紹介したアーティストの一人だがコンテンポラリーダンスの今日でも一歩一歩表現を模索している。大串のテーマに沿いながらマイムのように動いてみたり、時には考えるような表情をみせていく。オトギノは壁沿いをゆっくり動いたりして普段と異なりダンスはあまりみせない。シャンソンがかかる中、黒いスーツ姿の及川が踊り終演する。
 数年前にモダン・コンテンポラリーの矢作聡子が作品「La Trace」*1で”ダンスと認知”という現代ホットなテーマを元に同じように人間の認知や意識の深層に対してアプローチをしてみせたときはマイムや聾演劇、そして最先端コンピュータグラフィックスのアーティストたちと3次元空間を崩していくという矢作ならではの表現手法で迫っていた。この作品がパフォーマンスという文脈に依拠する場合は肉体や行為から立ち上る意識をどのように作品化するかということが問われるはずだ。戦後日本の経済発展の中での行為と肉体と異なる形で、再び30年代や世界恐慌を思わせるような不況の中の今日の意識や肉体、そして行為そのものを切り出すことが求められるだろう。先述の矢作の作品のように先端テクノロジーの発展が様々な形で人間のリアリティを切りだす事を可能にしているが、今日のライヴアーツの中でも肉体や行為の位置は問われているように思う。作品としては現代の舞踊研究の最先端とも重なる内容であるため、バレエのブラジスから近代マイムの祖のデゥクルー、そして戦後のパフォーマンス、”メイクアップをアートにした”Shu Uemura*2との活動と様々な領域を越境してきた及川らと新しい身体表現、ライヴアーツの切り口を切り開いて欲しいものである。
(マチネ キッド・アイラックホール)

*1:作品「La Trace」http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20060801 矢作の作品では「ダリ的リアリズムの薔薇」やいくつかのコンクール時代の作品でこの種の傾向がみえるのだが、最新作「いざ最悪の彼方へ…」でもこの「La Trace」の時のスタッフなどを加えながら異次元空間を構築してみせた。

*2:http://scorpio-oik.blogspot.com/2008/02/blog-post_06.html 会社HP http://www.shu-uemura.co.jp/about/index.html その他 http://www.u-presscenter.jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=501