吉村桂充 舞の会

そして昨日に引き続き、今日も赤坂見附だ。イルミネーションは次第に冬のトーンになって来ている。例年で言うと9月終わりぐらいの感覚である。まだ紳士服で冬物を来ている人が少ないように思える。今日は日本舞踊の中でも好きな地唄舞である。


第十一回 吉村桂充 舞の会

吉村桂充は邦舞の世界でも定評のある作家だが、一定のジャンルの中で活動するのみではなく、世界舞踊祭などを通じて世界の様々な古典・民族舞踊といった舞踊文化の中でも切磋琢磨をするように活動をしている。
「葵の上」は『源氏物語』に着想を得た作品だ。能の同タイトルの作品から詞章を得ている。六条の御息所の恋の妄執を描いた。この作品で吉村は無駄のない丁寧な動きで女性心理を描いていく。現代舞踊のあて振りと日本舞踊(特に歌舞伎舞踊)の振りを似ているということが、洋舞の評では市川雅のような批評家(「行為と肉体」など)にもみることができる。しかし、実際に優れた振付や巧みな構成を見てると、それは洋舞の側から見た邦舞に対するステレオタイプであることが解かる。女の執念や恨み言が踊りを通じて描かれるのだが、さっぱりとした演出が強い情念を踊り手の存在感や感受性の深みに落とし込んでいるため艶やかな距離を客席との距離に成立させていた。
続く「浪花十二月」は浪速の一年を描いた作品だ。富田清邦と北村珠邦が唄い、男女の声が世界を描写していく。桂充は包丁で七草を切るふり、伸び上がって植物の立ち姿を描く春の菖蒲、小粋に歩くことによって綴りだされる夏の花町−と十二月の浪速の風景を流れるように描き出す。日常世界を切り取る描写と振りで描かれる一年の流れが面白い。様々な情景描写に関東と関西の違いも感じる取ることもできる興味深い作品だ。洋舞ではこれからバレエの「くるみ割り人形」など今年も最後を彩っていくシーズンになることを思うと見る側も一年を振り返る思い出深い作品となった。
 洋舞の批評家は舞踊史を語るとき、大正・昭和期以前の舞踊から欧米に起源をもとめるような歴史観を持つことが多い。しかしこの時代の同時代の新舞踊運動をはじめとする邦舞についても知ることは重要であり、それ以前の舞踊として邦舞を知ることはかかせない。洋舞が世間的に認知をされてきた時代、20年代から30年代にかけては「舞踊芸術」という言葉は邦舞の意味も強かった。唄、踊り、そして伝統と「芸能」の深みを感じることが出来た秋の夕べだった。


(紀尾井小ホール)