大伴清女

昼、旧・前田伯爵邸和室で休憩:http://tokyo-attraction.com/tokyo/maeda/index.html
夕方から夜にかけて国立劇場へ。赤坂見附はいつも通りにぎわっていた。



 新世紀初頭の大御所の洋舞の舞踊批評家たちは、最後の老境の藤蔭静樹吾妻徳穂らを見ている。戦後の日本舞踊には東横ホールで行われた東横創作舞踊の会という場があり、そこから戦後の日本舞踊の踊り手たちや邦舞や洋舞で活躍する若い批評家たちが出てきたようだ。現在ではその東横創作舞踊の会でも活躍をしていた花柳寿南海らが長老である。コンテンポラリー・ダンスやバレエの評がどうしても多いが、新世代の日本舞踊の批評を立ち上げていくことも重要であるように思う。創成期の洋舞の批評家たちの多くはそれぞれに邦舞とも関わり合いが多かった。どうしてもジャンル分化が進んでいる現代だが、洋舞を踊ったり論じたりする若者たちも邦舞とも接点を持つことが大切であるように思い願っている。書き続けること、見続けることが重要なのだ。

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大伴清女 舞の会 第18回 清麗会

 大伴清女は現代を代表する地唄舞の踊り手の一人だ。現在の地唄舞の中堅作家の中では葛タカ女を美形で水準の高い表現を見せる作家のとして上げる事ができるが、大伴は存在感のある踊り手であり、感情表現の深みや細やかな表現を堪能できる実力のある作家だ。ご主人が辻井喬ということもあり、現代詩の関係者も公演に足を運ぶようだ。タイトルの清麗会という題字は大岡信によるものだ。
 今回の公演では短くも情感あふれる古典を二作上演した。上方唄「ぐち」は艶やかな小品。たまに逢う夜の嬉しさをぐちじゃないけれども踊ろうといった女性のしなやかさや心象世界の変化を描いた作品だ。唄・三弦の小原直の女の唄が蝋燭の灯る空間に響き渡るなか、大伴がゆっくりとしゃがみ、次第に立ち上がり両手を開きゆっくりと舞う。男と女の袖と袖が触れ合うときめきや路地を響く下駄の響き音が描かれる。やがて手元から扇がはたりとすべり落ちる。女はゆっくりと拾ってそれが二階の恋だということを指し示す。地唄「お乳やめと」は一転し、青一色の背景と男の唄(唄・三弦 冨山清琴)と対照的な世界だ。踊りを習いたいという子どもを慈しむ気持ち、一方で子どもの気持ちを可愛らしく思う気持ちが同じように細やかだが深い感情表現で描かれていく。人物の感情描写のみならず曲の間には土地の風俗なども登場する。切なくも明るい様々なイメージが重層的に重なりあうことで一つの情景を描き出す作品である。
 二作品とも小品なのだが実に深いメッセージを感じる作品たちだ。地唄ならではの上方文化や座敷舞特有の抑圧を感じる濃密な官能美がごく短い時間の中に込められている。作中に登場する地名や情景も上方ならではの時の流れや風物を感じさせ、実に濃密な時の流れを感じさせた公演だった。

国立劇場 小劇場)