今月のダンサー:07年10月 関典子さん

(C)稲田卓史

関典子はコンテンポラリーダンスで人気のある若手作家の一人だ。H・アール・カオスで活躍していた時代からファンが多いダンサーだが、美術との接点も深い作家であり、ギャラリーやスペースでのパフォーマンスも行っている。一方、舞踊論でも活躍をしており、舞踊評論で入賞をしたり、舞踊研究学術ジャーナル「上演舞踊研究」にレスキス(1)やエドゥアール・ロック(2)といった現代作家を論じた論文を発表している。このジャーナルには興味深い論文がいくつか投稿されており、例えば平山素子がコンテンポラリーダンスの同世代の作家たちにインタビューをすることでコンテンポラリーダンスの背景を探った論考も掲載されている。関の論文も作家の一連の活動と重ねてみると日本のコンテンポラリーダンスを考える上で興味深い論文であるといえる。
 この夏に私は「ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成」( http://www.u-mat.org/ )という国際会議で研究発表をしていた。その時に、日本のメディアアートの歴史を総括するセッションがあったのだが、その中でたまたま関典子が踊る「Gemotion Dance」(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20070716)を見ている。河口洋一郎( http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/~yoichiro/ )の生命感覚あふれるダイナミックなCGを背景にした関の鍛え抜かれた肢体から生まれるシャープなムーブメントは今でも印象深い。海外ではいち早くSpace Art(MIT Leonardoのサイト: http://www.spacearts.info/ )というタームが登場し、日本でも宇宙開発とダンス・身体表現に関するプロジェクトが盛んになってきているが、来月頭には新作を宇宙文化(http://iss.jaxa.jp/utiliz/spaceculture/index.html)とダンスに関する企画『天へのシルクロード―飛天―』の中で上演する。
 美術、メディア、テクノロジーの中で活躍をする作家の一人といえるため、この企画で取り上げてみたく思った。

注:
(1)関典子,「レスキス作品『THE HEAVEN BEFORE THE EYES-夜ごとひそかにさまよう女』研究-マックス・エルンストのコラージュ論をめぐって」(「上演舞踊研究」,Vol.4(2003) 収録)
(2)関典子,「エドゥアール・ロックの“記憶の動き”考」(「上演舞踊研究」,Vol.7(2007) 収録)

関連情報:
  『天へのシルクロード―飛天―』(国際宇宙ステーションパイロットミッション実施に向けて)
  シンポジウム&パフォーマンス
  http://www.spiral.co.jp/event/hall/post_23/
 【日時】 2007年11月3日(祝・土)17:00〜  4日(日)14:00〜
       ※関典子作品『Icarus』は4日のみの上演。

Q1:新作「Icarus」を11月4日に発表されるようですが、まずその辺りからお話頂けると嬉しいです。



 タイトルのとおり、ギリシア神話イカロス」に想を得た作品を踊ります。
鳥の羽根を蝋で固めた翼をつけた少年イカロスが、飛ぶことに夢中になって天高く飛んだ挙句、太陽に近づきすぎて蝋が溶け、羽根がバラバラに砕け、墜落死してしまう…というお話です。今回は宇宙で舞踊を!という「飛天プロジェクト」(研究代表:石黒節子 お茶の水女子大学名誉教授・客員教授)の企画におけるソロ新作の発表なので、不謹慎では…と思われるかもしれませんが。

2001〜02年、「飛天プロジェクト」の初期段階に、小型航空機による微小重力飛行に搭乗し、無重力での舞踊を体験しました。実際に無重力状態に入った瞬間、文字どおり「舞い上がって」しまうんですね。精神的にも肉体的にも。
本当にあらゆる束縛から解放され、自由になれる。けれども、重力がなければ身体の軸が定まらず、思うとおりに動くことはできない。

ダンスは動きによって編み出される芸術ですが、「動」という漢字がいみじくも「重」と「力」という文字から成り立っているように、重力があってこそ、我々は自由に動くことができるのだという当たり前の事実に気づかされました。重力の恩恵といいますか。やはり私は、この地上で、重力と戯れて踊っていきたい、と。

また、この世に「生まれ落ちる」瞬間から「命を落とす」最期の瞬間まで、人生は落下の連続である、と。

そうした無重力舞踊の経験や日々の体感から、今回、「イカロス」を抽象的、象徴的に捉えなおし、重力から解き放たれることの自由と限界、そこに立ち上るリアリティを表現したいと思っています。


Q2: 夏にたまたまアジア・ユビキュタス会議で「Gemotion Dance」を拝見しましたが、飛天プロジェクトやCGアーティストの河口洋一郎さんとの作業などテクノロジーとの接点が増えてきたように思います。一連のテクノロジーとの接点は関さんの活動にどんな影響をあたえていますか?


 私自身、テクノロジーに関しては疎いのですが、最近はそうした企画に参加させていただく機会が増えています。

河口さんの提唱される「Gemotion」は、「Gene(遺伝子)」「Growth(成長)」「Emotion(感情)」を組み合わせた造語で、人間とCG映像がリアルタイムで反応するインスタレーションを通して、情感的な世界を創出するものです。
「Gemotion Dance」では、私の動きに反応する幾何学的なCG映像を背景に踊りました。
背景に…というより、様々に変容する光や形とのデュエット、アンサンブルを踊っている感覚に近かったですね。
映像に飲み込まれたり、映像を攻撃したり、身体が分子状に拡散していくように感じたり…、不思議な感覚でした。

もともと「テクノロジー」の語源「テクネー」は「特別な能力によってある効果を実現すること」という意味。「アート」の語源であるラテン語の「アルス」もギリシア語の「テクネー」を元としたもので、つまり、テクネーの意味する「術」は、「芸術」と「技術」という双方を有した概念であったといわれています。時代を経るにつれてこの二つが分岐していき、今また、双方が融合してきているのですね。

そういう意味では、テクノロジーとダンスの接点も、私にとってはそれほど特別なことではなく、どちらも人間の営為として、また色々なご縁から、知らず知らずのうちに、ごく自然に関わり始めることになったような気がします。

もう一つ思い浮ぶのは、「芸術は長く、人生は短し」(ヒポクラテス)という言葉です。
私の愛読書でもある谷川渥『芸術をめぐる言葉2』(美術出版社,2006)に「テクネー」の語源も含め詳細に語られていますので、是非ご一読いただければと思います。

テクノロジーとの接点が私の活動に特別な影響を与えたということは、今はあまり感じませんが、この時代の身体性を考える際に、テクノロジーは避けて通れない問題であり、そうした活動に参加できることはとても意義深く感じています。

重力にせよ、作品と鑑賞者の相互作用にせよ、古来からある普遍的な要素に取り組むという意味では、テクノロジーもアートもダンスも、志を同じくしているということをむしろ感じましたね。


Q3:H・アール・カオスに出演していた時代の関さんを覚えている方も多いと思うのですが、その時代と比べて現在はいかがでしょうか?


 H・アール・カオスでの体験は、私にとって、とても大きな影響を与えています。
ワイヤーによる宙吊りなど、ダンサーとしても研究者としても多くの視点を得ることができました。卒業論文に「膨らむ劇場空間―舞踊における“宙吊り”の意義―」というテーマを選んだほどです。修士論文コンテンポラリーダンス解釈試論―“超現実”の生まれる瞬間―」では、椅子やベッド、テーブルといった日常的な道具を用いた振付をシュルレアリスムの視点から論じました。

どんなに困難な状況下にあっても完璧な世界の創出を目指す大島さん、白河さん、スタッフ、ダンサーの集中力とこだわりには本当に感服しましたし、私もその一員として、必死に食らいついていったことを覚えています。

ダンサーとしては、やはり白河さんの両性具有的なオーラに惹きつけられます。
当時は私も今以上に若く未熟で、そのことに気づく余裕もあまりなかったように思われますが、今、観客として舞台を観ていて、戦慄を覚えることもしばしばです。

H・アール・カオスの舞台は大劇場の額縁舞台の中に、幻想的な舞踊世界を創出するもの。
それが客席を巻き込むほどのスケール感を生み出し、私もその一要素として存在していたわけですが、最近はギャラリーや美術館など、観客の手が届くほどの至近距離でソロで踊る機会が多く、観客との共感、交流をより強く感じています。

昨年行なったギャラリーパフォーマンスでは、最前列のお客さんが、私の動きを真似されたんです。それを見て私も驚いてしまって。後で、その方に「踊っていらっしゃいましたよね?!」とお聞きしたら、「何だか見ていて私も踊りたくなって…」とおっしゃって。
舞台と客席が共にあること、私のダンスが人を動かしたということに、大変感動を覚えました。


Q4:最近では色々なジャンルの作家とのコラボレーションに取り組んでおられますね。一連の活動の中から、何か新しい身体に対するコンセプション(Conception)、新しいフレームみたいなものが出てきそうですか?またコラボレーションをした結果、相手の作家側にはコンテンポラリーダンスを通じて何かヒントを与えたことはありますか?


 もともと美術鑑賞が好きなこともあり、これまでも『ヌーダ・ヴェリタス―裸の真実―』や『Water Snakes』(クリムト)、『夢魔』(フュースリ)など、絵画にもとづくソロ作品をいくつか発表してきました。

そこでこだわってきたのは、単に絵画のテーマ性や構図を再現するのではなく、私という媒体を通して、観客に対して、いかに解釈の幅をもたせるかという点です。原作を知らずにご覧になる方の鑑賞にも堪えうる自立した作品創りを心がけるとともに、絵画の世界観をかすかに感じとれるような、解釈のヒントになるようなモチーフやポーズを散りばめるというふうに。
タイトルが想起するであろう原作のイメージが舞台と客席の交感を促す触媒的機能を果たすよう意図したものですが、私がインスピレーションを受けた絵画を発想源としたもので、また、作者が過去の人ということで、原作に対するオマージュ的な要素が強かったともいえます。

その後、アリカ・アート・サイト(1)というギャラリーのオープニングでパフォーマンスを行なったり、美術家で銅版画家の北川健次さん(2)の制作に被写体として参加するなど、今を生きる表現者同士の実際的なコラボレーションを行なうようになりました。予め存在する過去の絵画にもとづくこれまでの創作からすると、同時代の作家との共同作業は、片想いが通じたような気分です。

この10月には、画家の岸本吉弘さん、作曲家の田村文生さんとのコラボレーション『水平狂』(3)(記事トップ、サムネイル写真)を終えたところです。岸本さんの個展の関連企画でしたので、彼の絵画に特徴的なストライプのモチーフから「水平」というキーワードを抽出し、それを出発点として、各々の創作に臨んだ結果、6m弱の巨大壁画と二対の縦長の絵画、14名のアンサンブル生演奏、これらの空間に身一つをもって立ち向かうソロダンスというスリリングなパフォーマンスに結実しました。

今回のコラボレーションは、美術×音楽×舞踊の調和や融合、追従的なものを目的としたわけではなく、 互いに「水平」という一つのキーワードを共有しながらも、個々の独自性を対照化・対称化することを目指しました。他ジャンルとのコラボレーションを通して、三者が自身の創作活動、表現活動に対する使命感を再認識できればと。

画家の岸本さんは、これまで縦長の大きな絵画を手がけていらっしゃいましたが、
今回は舞台性、正面性、身体性を意識した横長の壁画に挑戦されました。
パフォーマンスでは、絵画にもたれかかったり、衝突したり、実際に干渉する振付も行なっていたのですが、彼曰く、「いわゆる舞台美術や背景ではなく、あくまでも自立した作品性のスケール感であり、演者がいくら現実的、実際的に干渉してきても揺るがない〈場〉を呈示した」と。

私の側からすれば、私の身体や動きと絵画は相互に変容をもたらしたと思っていますし、
観客の方が、「パフォーマンスを観る前には気がつかなかった筆致やマチエールが、ダンスを観た後では、とても浮き立って眼に飛び込んできた」とおっしゃってくださったのを聞いて、コラボレーションとしては成功したかな、と思っています。
もちろんそれは、個々の自立性があってこそのことで、今回のコラボレーションを経て、互いに新たな展望を得たように思います。



近年の作家の活動:

■アリカ・アート・サイト『表象の冒険』「芝章文展 MAO 2006 杜の覚者」ギャラリーパフォーマンス(2006年3月)(1)
・写真:http://www.arika.net/info/infor.html
北川健次(美術家・銅版画家)との制作
「Element―回廊を逃れゆくアポロニオスの円―」(2007年6月〜10月全国巡回)(2)
・オフィシャルページ:http://www.kenji-kitagawa.com/
・展示案内:http://www.gallery-kawamatsu.com/
 2007年10月15日(月)〜27日(土) ギャラリーかわまつ「北川健次 新作銅版画集刊行記念展」

兵庫県立美術館「アルベルト・ジャコメッティ展」関連ダンスパフォーマンス『ジャコメッティ・マニア』(2006年9月)(4)
兵庫県立美術館http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/index.html
・評:http://blue.ap.teacup.com/applet/splitterecho/200703/archive
■岸本吉弘展「水平の夢」関連コラボレーション『水平狂』(2007年10月)(3)
・告知:http://www.konan-cdc.jp/pensee/index.html



Q5:レスキスや舞踏など美術と関連が深い文脈で舞踊研究をされているようですが、創作活動との接点がでてくると面白いように思えます。ダンス創作において研究がヒントになったことなどあればお教えいただきたいです。



 研究面では、コンテンポラリーダンス前後の舞踊に特徴的な「現実的要素の導入と異化の表現」について、オブジェやコラージュ、デペイズマンといった美術の概念、理論を援用した解釈を試みています。

たとえば、ポストモダンダンス期に試みられた歩く、立つといった日常動作の舞踊への導入は、「レディメイド・ムーヴメント」「ファウンド・ムーヴメント(見つけられた動き)」とも称されるように、「レディメイドのオブジェ」「ファウンド・オブジェ(見つけられたオブジェ)」などの美術との深いかかわりをもっています。

両者の共通性は、単にありふれたもの(日常動作や既製品)を芸術作品として呈示するという外的側面、手法的革新性に留まるものではありません。「オブジェ」とは「既成の文脈から外され、別の文脈の中に置かれることで、意味づけを変えられた物体」という意味。

たとえば有名なマルセル・デュシャンの『泉』(1917)は、既製品の男性用便器を芸術作品として呈示したものです。そこには一見、芸術家の手業は何も働いていないようにも思われます。彼自身、「ただ単にそれを選んだのだ」と。
けれどもデュシャンは、便器の背部の平らな面を底にして置き、サインを施し、『泉』という新たな名称を与えました。この「位置」と「意味」の転換(デペイズマン)は、既製品をオブジェに変容させるための重要なメカニズムであり、ダンスとの共通性もここにあると考えています。

トリシャ・ブラウンの『Man Walking Down the Side of the Building』(1970)(関連記事http://www.ballet.co.uk/magazines/yr_06/sep06/gw_rev_trisha_brown_0506.htm)は、本来路上を垂直に立って歩く人間像の座標を90度転換し、地面に対して水平な姿勢で壁を歩かせるものですし、90年代前後に一世を風靡したラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスの「水平の回転」、H・アール・カオスのワイヤー、レスキスの『部屋』(1983)にみられる、まるで蝶の標本のように壁に貼り付けられた(コラージュされた)女性像なども、直立姿勢という見慣れた身体をオブジェとして取り上げ、その位置を転換することで、異化効果を狙うものと捉えられます。

私の創作活動で言えば、昨年、兵庫県立美術館「アルベルト・ジャコメッティ展」関連企画として行なった『ジャコメッティ・マニア』(近年の作家の活動 4)では、ジャコメッティの彫刻に顕著な正面を見据えて立つ細い細い人間像を主軸として、安藤忠雄建築のエントランス空間を様々に変容させることを意図しました。
細い欄干にぶら下がったり、コンクリートの壁際で逆立ちをしたり、階段を寝た姿勢のままドロドロと降りたり…。『水平狂』では、横たわった身体という水平志向の動きを多用するとともに、二対の絵画に挟まれた壁面上部に空中椅子を取り付け、その上での動きのヴァリエーションを試みました。

上下左右という座標の感覚や、私たちが普段意識せずに暮らしている空間(壁、階段、床)などを身体を通して異化する表現は、私にとって、研究と創作の両面での重要なトピックとなっています。それは、これらの要素が、観客との共通項であるから。

重力や、それによって必然的にもたらされる座標の感覚は、この地球上に生きる私たちにとって、永遠不変の絶対的現実として存在するものです。これらの自然的な法則は、いかにテクノロジーが発達し、宇宙技術が発展しようとも、変わりえない事実であるといえるでしょう。

けれど、そうであるからこそ、「現実的な要素の異化」というコンテンポラリーダンスの表現特性は、常に舞台と客席の触媒的機能を果たし、両者が「今、ここに、共にあること」、文字どおり「con(共有する)+temporary(束の間の)」であることを実感させることを可能とすると考えています。
…というように、私にとっては研究と創作は両翼として必要不可欠なものであり、
これからもそれぞれの活動をフィードバックさせながら、進んでいけたらと思っています。
少し遠まわりをしてしまうかもしれませんが…。


★作家の研究活動

■舞踊学会 第1回定例研究会(2003年3月)
コンテンポラリーダンス解釈試論―“超現実”の生まれる瞬間―」
■第55回 舞踊学会大会(2003年12月)
「レスキス作品『THE HEAVEN BEFORE THE EYES』研究―マックス・エルンストのコラージュ論をめぐって―」
■第58回 舞踊学会大会(2006年12月)
エドゥアール・ロックの“記憶の動き(memory movement)”考」
■舞踊学会 第10回定例研究会(2007年6月)
「舞踏におけるオブジェと身振りの相関―“飼いならされた動作”を離れて―」



■ 関典子(せき・のりこ) プロフィール
 ドイツ生まれ、宝塚市出身。お茶の水女子大学大学院博士後期課程単位取得退学。
  幼少よりクラシックバレエを学んだ後、コンテンポラリーダンスに転向。
  H・アール・カオス、イシグロダンスシアターなどの国内外の公演に多数出演。
  近年では、美術、音楽、写真、CGアートなど、他ジャンルとのコラボレーションにも着手。
  舞踊活動とともに研究活動も行い、日本ダンス評論賞(2001年 第二席、2004年 佳作)受賞。
  現在、国立音楽大学多摩美術大学他で非常勤講師を務める。


■ 今後の予定

(1) 『天へのシルクロード―飛天―』シンポジウム&パフォーマンス
   (国際宇宙ステーションパイロットミッション実施に向けて)
   http://www.spiral.co.jp/event/hall/post_23/
  【日時】 2007年11月3日(祝・土)17:00〜  4日(日)14:00〜
        ※関典子作品『Icarus』は4日のみの上演。
   【会場】 スパイラルホール(東京メトロ「表参道」B1出口前)

(2)「北川健次 新作銅版画集刊行記念展」に被写体として協力。
   http://www.gallery-kawamatsu.com/
   【会期】 2007年10月15日(月)〜27日(土)
   【会場】 ギャラリーかわまつ(東京メトロ・都営新宿線「神保町」A4出口より徒歩1分)

(3) 2008年、関西の現代絵画展にて、ソロ・パフォーマンスを実施予定。

 
■ 写真
  撮影:稲田卓史