各流派合同新春舞踊大会、カレイド

 現代舞踊、スペイン舞踊、バレエと各協会のいわゆる新人公演のような舞台を見てきたのだが、これまで日本舞踊の新人公演を見たことがなかった。年頭にある日本舞踊協会の新人公演のようなコンクール公演に足を運んだ。永田龍雄先生は洋舞の批評の元祖だが、私は逆に洋舞の批評を書くことからはじめて、時折邦舞についても書いている。大正と平成の違いだろう。洋舞、邦舞と分けないで広義に舞踊文化について書いているということになるのだろう。
 夜は新宿に移動して洋舞の若者たちの健闘する姿をみる。例年より暖冬とはいえ冷え込みの厳しい冬の一日だった。


日本舞踊協会 平成二十年各流派合同 新春舞踊大会十二日 第一部 


 日本舞踊の新人というと、ダンスの各ジャンルの中でも年齢層が高くなるイメージがある。新人で40歳という世界だと人づてに聞いていたが、実際に昭和の日本舞踊の批評家もそう書いていた。しかしこのコンクール公演に出ていた面々はもっと若い踊り手たちのように見うけた。初日の9日の第二部(夜の部)には前田新奈と創作舞踊で「ボレロ」を踊った藤蔭静寿が出ている。(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20080107)現在、日本舞踊の若手・新鋭作家では、新国立劇場の「舞姫と牧神の午後」に出演した花柳せいらが創作で健闘しているイメージがあるが、せいらより若い世代の実演家たちが出演している。客席には花柳寿南海らがいたため、現在の長老の若き時代にも新人としての舞台があったのだろうということをイメージしたりもした。
 新人ながらとても印象的だったのは次の二作品だ。西川真弥による長唄「島の千歳」は白拍子を描いた作品だ。とても豪華な衣裳をまとった真弥が踊るのだが衣裳や演出のみならず、なにより動きが生み出す表情が豊かだ。演出と踊りが融合することで確かな作品を生みだした。さらに藤間舞佳の清元「青梅波」は踊りの上手さで魅せた作品ということができる。渋い銀屏風を前にして扇を手にした舞佳が踊るのだが、肉体の緩急がきいた動きと着物に描かれた波が織りなす情景が見事だ。この作家のこれからが楽しみだ。加えて長唄「浦島」では花柳斉明が浦島太郎を演じたのだが、これは若い男性舞踊手が踊る作品として完成度の高い演技だった。作家は独特の美意識を持つ踊り手である。前半から後半への展開の構成がより明確になるとシャープになる作品といえないか。また長唄「官女」を踊った花柳輔深優は海を背景に実に情緒豊かな演技を見せていた。さらに水木歌蓮の長唄「浅妻船」では後半の踊りにアクセントが欲しいが細やかな表情は印象的だった
 普段、ベテランたちの円熟した演技で見ているため、若い踊り手が若々しいながらに年代を超えた演技を見せるかということに興味を持っていたのだが、藤間仁鳳による清元「玉兎」や坂東京弘女の常磐津「源太」、そして若柳恵華による清元「玉屋」は演じるのにそれぞれユーモラスな持ち味や庶民の機知や生き様といった人間観察が求められる作品をそれぞれ若いながらに成立させていた。若い実演家の日常を感じさせる表情と古典世界がお互いに歩み寄っていた。常磐津「三ツ面子守」の五月菜津穂、地唄「山姥」の吉村由華もそれぞれ若い踊り手にとても難しいモチーフに挑んでいたと思う。一定の水準を満たしたものだが、表情に深味が必要な作品であるともいえ、これからの演技や踊りの背後に感情の深みがみえてくるとさらに優れた作品になるように感じた。
 年初めに新人たちが競い合うその姿が心に残った年頭だった。彼らの中からこれからの日本舞踊を担っていく若手たちが出てくることを考えるのであれば、このような試みは継続していくべきであると思う。前述の藤蔭静寿と前田新奈の競演などは若いバレエファンの関心を集めたりもしているため、これからの新人たちの活動が気になるところだ。彼らの中から新世紀の日本舞踊が生まれてくるのである。コンテンポラリー・ダンスのファンも時折足を運んでみたらどうだろうか。
国立劇場 小劇場)



ダンスカンパニー カレイドスコープ 公演
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(全労災ホール スペースゼロ)