はしか、麻布

 舞踊批評家協会の会合があり、午前11時から1時まで会議をする。その後にGallery360°で今日まで開かれていた永島京子さんの展覧会に行く。



永島京子 TUNE

媒体にてレビュー

(Gallery 360°)


先を急いでいたので、青山・表参道のギャラリーやアートショップを見ることはできなかった。道すがら表参道ルイ・ヴィトンの前を通過。色とりどりのネオン灯を吊り下げただけなのだがインパクトのあるディスプレイだった。日照りはもう暑く5月の東京である。三田の図書館で資料を閲覧するはずだったのだが、はしかで今日から一週間図書館施設そのものが閉鎖され、何も閲覧できないという事態に。仕事の締め切りが脳裏をよぎる。予想外に施設を追い出された人は多いらしく、近郊の喫茶店では会議めいたMTGをしている人が多かった。
時間が空いたので、東京に住んでいてまだ見ていなかった芝増上寺を見に行こうと思って向かったのだが薪能をやっていて、中に入ることはできなかった。仕方がないので麻布die Pratzeに早く行き東京タワーを望みながら休んでいた。この劇場も今年でなくなってしまう。私にとっては思い出深い劇場で、批評活動をはじめたばかりの頃、数多くのアーティストトークをこなさせて体験的に現場を教えていただいたのはこの小劇場だった。私の思い出の一ページがなくなってしまうような感じだ。


ダンスカンパニー・カレイドスコープ
「7人のコレオグラファーによるMembers Dance Show Case」

媒体にてレビュー

(麻布 die Pratze ソワレ)


古い知人と再会して話しながら帰宅する。フリーターが増えている現在だが、武元賀寿子などはダンス派遣社員などと称してダンサーを派遣するという世相をユーモラスに捉えたパフォーマンスをしている。終身雇用の時代は過去の話で、今では複数の組織体に一人の人が所属する事が増えている時代だ。この業界も経済とアートの関係が如実にあらわれてきている。
舞踊界では90年代には起きなかったような出来事がここ数年さらに増えてきた。すでにダンスに関する情報、ダンス・コンテンツは新しい市場原理で動き出そうとしている。ライターよりは作家たちのほうがこの新しい原理に対応している部分が強い。国外的にも複雑な国際情勢にあり、国内的には「失われた15年」の流れ、あるいは「第二の敗戦」以後といえるような、希望がない世相が続いている。
 教育現場では、いわゆるお受験の結果生まれた私立校の出身者や受験の勝ち組ではなく、新しいタイプ、例えば小中一貫のコミニュティスクールの生徒たちの方が元気がある。多分学生たちも教師たちも希望があるのだろう。実はミチオイトウの10ジェスチャーが教えられている都内の高校も実はこの新しいタイプの教育と関係がある学校と関連があったりする。そんなに縁遠い話ではない。90年代生まれの子どもたちが高校を卒業しだすのは後数年後の話だ。今のティーンエイジャーは湾岸戦争とかバブル絶頂の時代に生まれてきた子どもたちだ。彼ら彼女たちが活躍しているのがコンクールジュニア部である。
 さらなる新時代が始まろうとしてきている。