京急運河大井町競馬場桟橋で

 午前・午後と仕事をして、その足で浜松町に行く。いつもだとメルパルクになるところなのだが、モノレールで大井町競馬場前まで行き係留されているボートピープル・アソシエーションのボートハウス http://boatpeople.inter-c.org/ に向かう。
彼らの原点はメンバーがやっていた水上BARだった。芝浦の運河で約2年間に渡ってひっそりと営業を続けてきた。しかし現在ではフローティング・エマージェンシー・プラットフォームということで大震災など都市災害時の支援船として活動を行い、様々な企画を行っている。阪神大震災などでは最初に被災者の心を癒したのは音楽や演劇、ダンスといったライブアートだった。そんなテーマも射程に入れながら企画した。

 桟橋からデッキに上がると、深見章代さん、カワムラアキノリさんがソファーで本番前の休憩をとっている。室内では菊地尚子さん、青木教和さん、塙琴さんたちが会場設営をしている。空は晴れていて5月の東京の午後特有の暖かい空気が流れている。空は晴れ渡り月が出ている。ソファーの上でくつろいだりしながら開演を待つ。遠景には東京のベイエリアの工場群と高層ビルが見え、ネオンサインが少しづつ輝きだしてくる。音を立ててモノレールが着く度にと少しづつ人が集まり始め、暗くなると公演がはじまる。日没を計算した実にいいパフォーマンスの始まりだ。バージ船を改良した空間で充実したパフォーマンスが行われた。終演後は夜の東京の海の上だ。関係者たちがドリンクを飲み盛り上がったようだ。

戦後、赤テント・黒テントが演劇でもてはやされた頃、20世紀舞踊の会のメンバーで批評家から振付家になった池宮信夫(今のノマドの池宮氏の父)らはモワティエ・モワティエという企画を立ち上げていた。最年少ダンサーは加藤みや子で、企画立案には榎本了壱も参加していたらしい。日下四郎編集の現代舞踊協会のビデオによると彼らもテントを利用したことがあったという。非日常の空間とも読み解ける空間であるため、そんなことをふと思い出したりもした。

昨今、「批評家は会を主催しない」という考え方がある。この考え方はかつて何人かの批評家が自分でプロデュースした会をべた褒めにしたためでてきた。この考え方に近いのは長谷川六だ。長谷川は自身も踊る(高瀬多佳子作品、石井かほる作品などに客演)し、シャンソンを歌うし、会の主催をする時もある。しかし流儀として自分でプロデュースに関わった公演の評は書かない。私はこの長谷川の考え方には賛成である。しかし「批評家が会を主催してはいけない」という考え方そのものはない。海外でも推薦人やコーディネートに関わっているケースはいくつかあるし、古くは蘆原英了を初めそういう書き手は何人もいた。そこで私もこの公演の評は書かないで記録を一般媒体に残すことにする。

エマージェンシー・パフォーマンス/デイリー・パフォーマンス
Emergency Performance / Daily Performance



 実験的なパフォーマンス空間を模索するものとしてボートハウスでのパフォーマンスを企画してみた。本稿はコーディネーションに自分が関与しているため、『批評』ではなく『レポート』としておこう。菊地尚子は演劇的な作風が狭い空間に適しているのではないかと思えたため推薦した。また深見章代とカワムラアツノリはパフォーマンスが得意だと思えるためこの環境で踊ってもらった。
 菊地尚子「ピースピース」、菊地、青木教和、塙琴がよれよれの服装ではいってくる。やがてデッキの上で青木が「ラジオ体操第一」をはじめ、観客を誘う。観客が彼らと船倉にはいっていくとシャボン玉がいっぱい風にそよいで飛んでいる。天井からは無数の風鈴がなっている。やがて3人のパフォーマンスがはじまる。水の音とかセミの鳴く声とか夏という季節の音がひたすら流れ続ける。それぞれが夏の音だ。バージ船の船内に夏がはいってくる。3人とも踊らないで張り巡らされた梁や、船の屋根にのぼったりしてパフォーマンスをしていく。塙が可愛らしく演技をすると、青木はさわやかな日本の青年を描きだす。菊地も二人に絡んでいく。花火がなると水上は夏の水辺になり、セミの声がなりひびくと夏の日の午後というように。演出と美術が一体化してセンスのある世界になっている。青木が梁の上にのぼるとジョウロで水をかける。するとこの二人の女たちの上から雨が降る。彼らは子どもたちの夏の午後のように水浴びをしあったりする。菊地の水上という環境をつかむ感覚の面白さを感じさせる作品だ。話がまとまってからつくるのは短時間だがなかなか良く出来た内容だ。夏のボートハウスという感じだ。
 「ボートピープル」カワムラフカミは逆に空間をスリリングに使う作品だ。梁の横からカワムラとフカミ=深見が登場。下に下りずに壁から壁へハンモックを使って移動する。大きくしなる。二人のアクロバティックな要素がきまっている。カワムラは這うように天上の梁を移動。緊張するは迫真の演技に客席が沸く。フカミは対象的にとても怖がる。ハンモックを客に頼んで張り巡らせる。嫌がりながらハンモックをつたい地に下りないで移動する。二人は天井裏で大きく跳ねたりする。やがて共に船倉に下りてくる。ハンモックにのると再びメロウな音楽がかかる。それぞれハンモックに乗ってぶらぶらと揺れて遊ぶ。フカミは前でゆっくり、カワムラは対照的に大柄に動く。かつてはこの音楽で二人は濃密に踊ったのだが、今回はクールににカットアウト、見事な仕上がりだった。東アジアの生活の位置風景を感じさせもする。
 普通の空間と違う表現の探求の場となった。モダン=コンテンポラリーの作家はコンクール調の作品が得意でオルタナティブなスペースで活動できないといわれることがある。彼らのみならずモダン=コンテンポラリーの作家たちにとって重要なことは彼らの作風を活かした活動の場を都市環境の中に見いだしていくことではないか。

(災害支援船「LOB-フローティング・エマージェンシー・プラットフォーム(LOB-FEP)」
京浜運河大井競馬場桟橋)