今月のダンサー:池田素子さん Homeless Dance Companyに向けて

(C)Motoko Ikeda

今月のダンサー:池田素子さん

池田素子http://homepage.mac.com/mtkduke/Menu2.htmlは言うまでもなく現代日本を代表する中堅の踊り手の1人である。An Creativeの企画、Little Asia Dance Exchangeでは2004年にアジアのダンサーたちと作品を制作した。(音楽舞踊新聞での筆者の記事を参考のこと)

現在ではSchool of Hard Knocksの関係で日本とNYCの間を数ヶ月間の間に何回も往復したり、様々なゲスト出演で海外でも多く仕事をしている1人である。この夏は台湾に滞在して若手ダンサーたちに振付けるといった活動を行っていた。来年にはHomeless Dance CompanyというグループをAn Creativeの企画の時の面々で立ち上げるそうだ。

Q1. Little Asia Dance Exchangeという日本ではAn Creativeが製作にかかわった企画でアジアのダンサーとコラボレーションをはじめられましたね。まずはその辺りから2007年4月5月の舞台についてお話いただけ
ると嬉しいです。

はい、2002年9月中旬〜11月中旬まで約2ヶ月を韓国〜ヨンドゥ、香港ダニエル、台湾〜ヨギ、オーストラリア〜ナタリーそして日本〜私。各国1名ずつの振付家/ダンサー とマネージャー〜アナ、照明家〜アンソニー、舞台監督、音響〜ケヴィン(3人とも香港からでした)という8名で作品作り→公演ツアーを行いました。
公演内容は、各々のソロ作品と5人で創作した30分の作品です。

Q2. 最初はメールで話し合い、後に一緒に作業をしていくうちにお互いの歴史や文化に関心をもったようですね?

そうですね、最初は題名やテーマについて5人でメールで話し合い、初
めて顔を合わせたのは創作場所となった台北です。

台北には約4週間滞在して、その内2週間と少しで作品を創り上げました。
そして初演、ワークショップなどを経てツアーに出ました。
台北→ソウル→東京→香港→シンガポールメルボルンの順)

その台北で顔合わせ、そして毎日朝から晩までの創作期間では、モノを創る時の常として行き詰まることもありましたが、みんな大人で、プロ意識も強く持っていましたので切り替えも早く、順調に創作が進んだ方だと思います。

初日が近づく中で、お互いのソロ作品を見る機会も出てきます。ドレスリハーサルなどで。

その時にそれぞれの作品が個性的である事、そして、そこで更にお互い
を認め合い「このメンバーがここに集まり、共同作品を創る!これはいいぞ!」と全員思ったようです。

そうして約2ヶ月一緒に旅をする中で、共にすごす移動時間、食
事、オフの日、そしてもちろんリハーサル、公演をして行く中で、たくさんの話しをしました。その中で歴史や文化の話しも自然と出てきました。


Q3. HomelessDanceCompanyへと活動がつながったのは<結束>があったからでしょうか?
何か皆で続けていこうという軸、核心はあったのでしょうか?

上記の様にたくさんの話しをする中で、誰からともなく「このメンバー
で作品つくってまたツアー回りたいね」「カンパニーにしたいな」と話し合う様になりました。
きっとコラボレーションした人々は多かれ少なかれそういう話しをする
ものだと思いますが。。。

けれど「このメンバーならやれるかも?」という予感はありました。


Q4. Homeless Dance CompanyのHomelessという言葉に込められたニュアンスをお教えください。

これは、話していた時にナタリーが←彼女が唯一の第一原語が英語の人
物だったので。
Homeless Dance Companyがいいよ!と言い出しまして。
「自分たちは、普段は全員別の国にいて、このカンパニー活動の時にど
こかの国に集まる。ホームのないカンパニーだから」と。


Q5. 4月5月からの展開についてもお教えください。


2007年4月〜5月に、台北ナショナルシアター、香港、メルボルン(未定)にてHomeless Dance Companyの創作と公演が行われます。

今回はメンバーの誰かの母国なので、その母国の人がリーダーとなる。
という取り決めはしていますが、その他のことはまたe-mail にて毎週話し合っているところです。

私はこの日本でもHomeless Dance Co.の公演をしたいのですが、
日本は助成金などの申請の仕方がとても難しく、難航しています。
国際交流の新しい形として受け取っていただけたらうれしいのですが。。。

ACCからは助成金がおりました。これは私がHomeless Dance Co. の代表で申請したもので、香港での作品創作への助成です。

日本国内での公演の機会を探しています。


Q6. 2005年夏に台湾政府から助成を受けて高雄(台湾)でワークショップをされたようですね。どんな体験をされましたか?(写真参照)


まず、真夏の高雄は暑かった!です。(笑)
台北は亜熱帯ですが、高雄は熱帯だそうで。。。

このAsia Young Choreographers Projectの振付家は、台湾から選出された4名、日本、オーストラリア、インドネシア、香港から選出された各国1名の計8名が約10分の作品を現地のダンサーを使って振付し、発表するもの。

まず初日にオーディションに集まった約70名のダンサーの中から各々ダンサーを選びます。私の場合は8名選びました。もちろん良いダンサーは争奪戦になるので、オーディション後の話し合いで振付家同士交渉して決めました。

そして、翌日から3週間リハーサルから本番まで8名のダン サーと向き合ってすごしました。私は「トンネルの終わり〜walking&falling」という作品を創りました。ダンサーは19才〜23才ととても若く美しく身体の利く女の子たちばかりです。この作品は、疾走感を大事にしているので、彼女達の若さとひたむきさ、良い意味でのがむしゃらさが相まって爽快感のある仕上がりとなりました。
ダンサー達はとても協力的で日本好き。小道具を買いに行くのも快く手伝ってくれて楽しい時間を過ごしました。

それと、少し学校風なところがあり(プロジェクトの進め方が)週に一度、中間発表のような事をするのですが。。。
その際に、他の振付家の作品を毎週見る事で、創作過程の迷いや、ダンサーの成長や。。が如実に見えるのが興味深かったです。


Q7. School of Hard Knocksでも2005年度はNYCと東京をしきりに行き来して活動されていたようですね。NYCもアジアと同じように文化が混合する場所ですがア ジアの違いについて感じることはありますか?

そうでした、2005年はNYへ通勤していました。5月の終わりから10月の半ばまでの間に4往復。。。2週間NY(SOHK公演)、2週間東京(かもねぎショット公演)、3週間NY,4日間韓国(パパタラフマラ公演)。韓国から帰国して成田で足裏マッサージを受けてそのまままたNY行きの飛行機。。。とずっとそんな感じでした。すごい日々だった。。。

さておき、うーん。違い。。。もちろん違うのですが。。。けれど、私は都市にしか行っていないのです。都会は交通機関が整備され、電気水道も概ね整備されています。

一番の違いは食べ物。ということになってしまいますね、やはり。台北、ソウル、高雄、香港。。。は屋台や店先で現地の食べ物がそこここで売られ、人々もいつもそれを食べています、しかもとても美味しい。
(もちろん現地の人はこの屋台よりこの屋台、と教えてくれますが。。)
NYCでも美味しいものは見つけられますが、それこそ多種多様。。。
「御当地味」というものは特にない気がします。
NYCでも行きつけの店はあるけど。。。でもベトナム料理だったり中近
東料理だったりします。。(笑)
そんな違いですみません。。。

ダンスに関連する違いを例に挙げるならば。。。NYCでは、川沿いの野外、郊外の教会を改装したギャラリー、イースト ヴィレッジの小劇場そしてCity Center という老舗の大劇場の4カ所でパフォームしました。
ヴィレッジなどで公演した際は観客の人が声をかけてくれ、感想や質問を述べてくれ、また帰りに道を歩いていたら道の向こう側から「よかったよ〜!見たよ〜!!」なんて声をかけてくれて。なんだか正にヴィレッジ「村」だなーと、楽しい気分で家路に着いたものです。
驚いたのはCity Centerでのフェスティバルに出演したときです。
SOHK以外にも世界各国からビッグカンパニーが出演し、大勢出ていましたしミッドタウンの大きな場所だから「村」な感じもなかったのにまた道の 向こうから「おーい!君!良かったよ〜〜!」とかすれ違い様に「お!君か!よかったよ〜!」と声をかけられたことです。ヴィレッジみたいな小さな場所じゃなくても個人が個人に声を発する!
それがNYCスタイルかも?

日本はもちろんアジアの都市だと、レセプション、みたいになってしまって、本当にヒョイと見に来た人の生の声を聞くのはここまで多くはない気がします。。。関係者率高くて。。。アンケートは書きたい人の意見だけですし。。。すこし偏っている気がします。。。
これは私がそう感じただけで、違う意見もあるとおもいますが。。。

Q8. そういった出入国を繰り返す過程から生まれてきたダンス、作品への視点はありますか?とにく次世代を担う実演家たちにヒントになることがあればお教え頂けると嬉しいです。


私は10年くらい前から海外へ出る機会が多くなりました。その際、たいてい一人でした。特にカンパニーに所属していないからです。
(最近はThe School of Hard Knocksに参加、そしてダンスシアター他動式(伊藤多恵)に参加しています。そして来年は上記 Homeless Dance Company活動開始ですが、いずれも形態が特殊なカンパニーなのです。)

いつもカンパニーという枠にとらわれずにいる。ということは同時にカ
ンパニーという枠に守られる事はない。ということです。そして「〜〜カンパニーにかつて所属していました」というわかりやすい肩書き?のようなものもありません。

私が関わってきたプロジェクトは期間が長いものが多いので、一人で別の国へ行き、そこで生活している感じになります。そして自分をすこし外から見つめる機会が多くなります。

なのでいつもその時出会った人、助けてくれる人が現れたり、そのうち行きつけの店ができたりなぜか道ばたで友達が出来たり(今でも交流ありますよ)プロジェクト が行き詰まったりそれが何かのきっかけでグンと漕ぎだし始めたり、それを経てステージ へ上がり。。。気づくとまた空港にいて。
出入国を繰り返す過程や、出会いや、時間が経過したこの身体とこれからもグングンとババーンと旅して行きたいな、と。旅は、出入国、といったようなことだけでなく。。。人生でしょうか。。。