今年もあともうちょっと

年度末らしく、公演ラッシュ=原稿ラッシュである。学位論文モード(ないしは問題)で身動きが聞かないこの身とはいえ、ただひたすらに原稿を打ちっぱなしである。ノーマルで通常通りであれば、連日連夜になり、次第にくるみ割りの毎日になるのだ。今年も早々に「くるみ割り人形」を聴いたのでそろそろ年の瀬も近くなってきていることを感じた。
しかし今年は12月に台湾で仕事をすることが決まっているので今一歩忙しい。台湾で戦前の日本の舞踊界について研究発表などをしてくるのである。
街を歩けば一青窈(ひととよう)
http://www.hitotoyo.ne.jp/
http://listen.jp/store/artist_1155405.htm
のニューアルバムのポスターが多く出ている。

BESTYO

BESTYO

実は一頃、着メロに彼女の曲をつかっていた時期があるのだが、ちょっとしたファンだ。
一昨年、研究発表で台北に行ったときは珈琲時候のポスターが街いっぱいだった。

珈琲時光 [DVD]

珈琲時光 [DVD]

この作家はTaiwanese-Japanese Singerとかかれることが多いが日本人作家にない持ち味がとてもいい。
http://www.youtube.com/watch?v=41YqY-ZSwpE
同じ日本人を表現していても欧米人の間で揺れる日本人女性の心を描いた宇多田ヒカルの「Easy Breezy」のPVと比べてみると面白い。
http://www.youtube.com/watch?v=p1twehMfPkA



ある北海道出身の実演家と話す。
北海道というのは基本的に内地や内地人と離れていたところにあるもので、戦前も国威高揚の内地と比べると結構しらけていたようだ。ナショナリズム以前に自分たちは日本人という意識がそんなに強くないらしい。北海道独立論のような議論が持ち上がるほど自治に近い意識もあるようだ。
ある意味、沖縄にも似ている土壌といえるとのことだった。伝統は創られるという「創られた伝統」を思わせる議論である。

創られた伝統 (文化人類学叢書)

創られた伝統 (文化人類学叢書)

社会学者のウェーバー明治維新を革命と考えていなく、むしろ政権移行だと考えていた。明治維新の結果生まれた伝統やアッパークラスと比べてみると、当時の北海道の民衆はロークラスというか文化的周縁にいる人々ということになるのだが、中央と距離をとりながらも、様々な人々が開拓地に流れ込んできているということは実に興味深い事実だ。おそらく、現在でも東京の中心で離されているような明治維新だの、天下国家にまつわる議論とそれほど一体化することなく、自分たちの自治について考えているのだろう。
明治維新第一世代の人間は国家が切り替わるということを体験した世代である。従って、様々な形で、独立や革命を起こすことができるということを社会的メッセージとして残してきた。それを社会的文化的中心に近い内地人が解釈をすると今でも明治維新が神話として立ち上がるのだろう。しかし中央ではなく周縁からこういった事象を読み解くとまた異なってくるということを再確認させられた。
いずれにせよ、自分たちの手で社会のガバナンスを考え、統治体系について論を立てることは重要である。

北海道、台湾と、ダンスを論じながら日本文化の境界や外縁を歩くような日々である。