東京へ

そんなわけで一泊して東京に戻る。今年はヨコハマコンペティションの創作部門が見れていない。しかも例年と違って部門が変わったようである。結果が気になっている。

札幌という街はグリッド状で如何にも都市計画にそって創った都市という印象がある。様々な文化人が北海道出身である。今は山口昌男がいることで知られている。すこし前には山口と共に今福龍太がいた。郡司正勝も北海道出身でその原風景について語っている。
NYCと同じように一本道を変えるだけで雰囲気が変わる。本当にキレイな町並みかと思えば、すぐ横に全フロア全て居酒屋のすすき野があるといった感じである。市内には蟹市場もあり空港の3分の2の値段で魚介類を買えるらしい。
明治期には石川啄木が詩人は一度来なくてはならない街だと語っていたらしいが、フロンティア・スピリットのロマンと詩情、開明な雰囲気が漂う街である。特に洒落た喫茶店が素晴らしい。
茶房 石の蔵
http://www.king-coffee.co.jp/
に案内されたのだが、北国特有のよさがある。空港にもこんな店が幾つかあった。

札幌時計台

ではクラーク博士を初めをする北海道開拓時代の資料を見学する。
ややノスタルジックで開明的な空気が漂っている。
昨晩食べた料理は洋風の料理だったが、時計台の展示室にあるようなメニューと似ていた。おそらく開拓期のメニューが現代まで様式化をして残っているのだろう。

案内をしてくれた人によれば、北海道はまだ5世代ぐらいしか歴史がないということである。これは明らかに入植者だった側の見方だが、5世代ぐらい前というのは大体明治維新である。



その一方で、

北海道庁旧本庁舎

までいくと、アイヌの資料や戦前に日本領だった南樺太とその戦災の資料、などを目にすることになり、開拓地=フロンティアの光と影を見ることになる。事実、北海道の統治の仕方が基本になり、帝国主義日本は台湾の統治を行った。そのやり方がさらにアジア諸国に応用されたため、北海道は様々な意味で近代日本の歴史や思考が集約されているのだ。
ちなみに資料によれば札幌は明治初頭には劇場があったようだ。
確かに開拓時代に様々な理由で開墾地に来たと思われるような人々の足取りをかんじるような町並みである。

江戸から明治への変遷の中で幕臣だった榎本武揚は北海道を独立国家としようとしたことがある。その気持ちが良くわかる。

地域アートを見ようとしたのだが、美術館の多くがたまたま閉じているし、路上は日本ハムのパレードのせいでごみごみしているしで大変な状況だった。

北海道立三好好太郎美術館

では三好の作品と近代建築の作品が展示されていた。殆ど時間がなかったのですぐに出る。



原野を走る列車に乗って再び新千歳空港へ。帰りの空港で電光掲示板を見て納得。国内外に飛行機がガンガンでているのだ。つまり自動車社会であり、飛行機社会なのだろう。寒いとはいえこれだけ気候が良く食べ物も美味しい場所であれば人は根づくのである。寒くなければフロンティアスピリットもあるしということで私も住みたいぐらいである。


帰りの機内でなんと野宮真貴がかかっていて少しなみだする。
http://www.missmakinomiya.com/
東京で最も好きな風景の1つは羽田に着く前に見る窓の外のイルミネーションである。もうレトロなのだが、その昔、丁度飛行機の中でPizzicato Fiveの「東京は夜の7時」がかかっていたことがあった。ちょっぴりセンチメンタルな90年代、もう戻ってこない時代である。