R.I.P. Kazuko Hirabayashi
NYCの平林和子さんが3月25日に亡くなりました。ご冥福をお祈り申し上げます。平林は戦後の現代舞踊の若手の一人として注目され日本時代から批評家達から称賛されましたが、1958年にアメリカに渡米します。舞踊家としてカンパニーを結成して活動し話題にもなりましたが、舞踊教育において多くの学生たちを育て高い実績を上げました。ジュリアード音楽院やSUNY Purchaseなどで活躍し、世界中の教え子たちからその才能を評価する声は絶えることがありませんでした。例えば現代のシーンで活躍をするオハッド・ナハリンは1980年に平林のスタジオで振付家デビューをしています。国際コンクールの審査もすることがありました。日本から出た国際的な舞踊家・舞踊教育者と言えます。まさにニムラ賞(1974年:第2回)にふさわしい存在でした。
私も海外の学術集会で海外のダンサーたちから「日本人なら自分の師の”Kazu”(愛称)の事を知っている」かときかれることが何度もありました。日本国内にもその極めて完成度の高い舞踊教育法を学んだ舞踊家たちは多く、ダンサーから劇場スタッフに至るまで平林に学んだ者たちは日本においても今日の舞踊界の礎になっているということができます。現代の日本から世界の舞踊界へ羽ばたいていく才能たちは多いですが、戦後日本が送りだした大切な舞踊家としてその存在を語り継ぐことが大切です。