中村剛彦「生の泉」

 舞踊批評家になった私にとって重要な詩集が昨年末に刊行された。中村剛彦の第二詩集「生の泉」である。この詩は夭折をした現代詩人・映像作家の金杉剛に捧げられている。

詩集 生の泉

詩集 生の泉

現在、中村は詩の出版社ミッドナイトプレスのHPでも論考を定期的に発表している。
http://www.midnightpress.org/

戸塚のFMラジオ局でも活動をしているようだが、ダンスとも接点が深いところにもいて、ダンスシーンでも活躍をしているスズキクリとパフォーマンスをしている。

是非、ダンサーの方々にも読んでもらいたい。

 個人的なエピソードからはじめよう。まだティーンエージャーだった私には後に二人の現代詩人となった友人がいた。高校時代にビートニクスのアレン・ギンズバーグに連絡をしたりしていた一人の青年と経済学者になったある友人を介して知り合う。若き日の金杉剛である。そして10代の終わりに中村剛彦とも出会う。80年代のパルコ文化などの影響を経て存在したポルトパロールのような現代詩専門の書店が存在したとはいえ、詩人になろうという友人は少なかった。

 やがて皆大人になり、金杉は第一詩集「がらん」を発表し映像作品を残し数年前に他界をした。金杉の第一詩集は私家版で数百部しか出ていないはずなので持っている人は少ないと思う。同時に彼は映画監督として映画を撮影し、アングラで独特な作風も伴い彼の映画も映画関係者の間でちょっとした話題となった。
 この第一詩集の「がらん」を手に入れることは極めて難しいかもしれないがその一部を引用してみよう。

幾千もの朝はもう描かれ
往来での目覚めの何というやさしさ
そこでは誰も私に問い返さない
そこでは私に答えなくてもいい
金杉剛,「無名俗」より


かくて過ぎし日より立ち去った私と
私から立ち去った過ぎし日は
たぐりよせる音信もないまま
いつのまにか終わってしまった
もののように
くらい所から面(おもて)をあげてみる
今 空に告げる何ものもなく
金杉剛,「胸・連続する途上」より

 中村がかつて引用した詩と同じ詩を引用してみた。今改めて接してみてその深みが解る。私はまだ彼の映画をみれていないがいつか映画館でみてみたく思っている。

 一方、中村は「ユリイカ」などに何度か詩が掲載されたが、その数年後に第一詩集「壜の中の炎」を出版する。そして金杉の死後に彼の死も大きなきっかけの一つに第二詩集「生の泉」を昨年刊行した。私は映像作家について研究をし幾分か論考をだしながら舞踊批評家になった。

 50年代、60年代のリトルマガジンなどのブームもおちつき、“詩人になろうという若者は今はコピーライターを目指している”と大岡信谷川俊太郎が語っているが私の含むこの3人の青春時代はそんな時代だった。リトルマガジンというよりはDTPの時代だった。事実、私も詩作に一時期は関心を持ったが、視覚表現、上演芸術の世界に足を踏み入れていく。
 この二人の詩人の詩的言語は私と同年代のものである。若き日の金杉剛はロックの歌詞に関心を示していた。だがシンガーになることはなく詩作をしていた。中村剛彦は出会った頃に「西脇(順三郎)はテクノだ」と私に語っていた。通常、西脇順三郎というと「(覆された宝石)のような朝」(「Ambarvaria」)といったモダニズム詩として語られることが多い。彼は英国でエズラ・パウンドらのモダニズム詩に接し第一詩集「Spectrum」を英文で書いたという西脇の西欧的な論理と美学、そして底流に潜むモノトーンな要素を見抜いていた。二人と私は詩のリーディングをすることになりそれで二人が出会う。さらに今はオペラ歌手として活躍をしている仲間も加わってくれた。今は演劇評論をしている当時の仲間が自分の劇団から暗幕を貸してくれた。そして二人は「最初に書き上げた詩篇をお互いに読みあう親友」となった。
私は現代詩と接しながら“書かれ・印刷された・読む詩”というよりは朗読やパフォーマンス、過去の詩人の肉声に関心を持っていた。テープでT・S・エリオットや西脇の肉声を聞くのが好きだった。そして私は今では“書かれた歴史”よりは“口承”や“肉声”、オーラル・ヒストリーとも向かい合っているのだから。私にとっての詩はエレクトロニカになり、池田亮司の「SPECTRA」のような前衛芸術、かつて「幻視と映像」というレニ・リーフェンシュタール論をまとめたときではないが夕闇の中からツェッペリン型飛行船がサーチライトが無数に天空に向かって光り輝くアルベルト・シュペーアの建築の上に降り立つようなファシズムかともいえるようなスペクタクルの美学に転化したのかしれない。あるいは舞台で見るバレエの中村恩恵中村祥子や西田佑子、そして小野絢子、モダン・コンテンポラリーの折原美樹、内田香、矢作聡子や菊地尚子、新人では高瀬譜希子や池田美佳、フラメンコの北原志穂の向こうにアルス・ポエティカ(詩学)を見出そうとしているのかもしれない。

 思えばこの国では舞踊と現代詩は接点が深い。美術評論家としても知られる現代詩人の岡田隆彦の最後の詩篇「植物の睡眠」を加藤みや子は舞踊化しているわけだし、三浦雅士も岡田を最も影響を受けた詩人の一人に上げている。ダンサーのために記しておくが三浦正士は”「ダンスマガジン」の人”のみではなく、元々は「現代詩手帳」や「ユリイカ」、そして「現代思想」で活躍をしていた。

考える身体

考える身体

90年代後半から2000年代初頭のダンスブームの流れの中でスフェアメックスなどで大岡信吉増剛造らがダンスと関わった企画が行われていた。
岡田隆彦詩集 (現代詩文庫 第 1期30)

岡田隆彦詩集 (現代詩文庫 第 1期30)

吉増剛造詩集 (ハルキ文庫)

吉増剛造詩集 (ハルキ文庫)

中村や金杉と私がそんな催し物に足を運んだ事もあった。


 中村の処女詩集「壜の中の炎」は詩壇で話題をまいた詩集であった。
http://www16.ocn.ne.jp/~juntaro/text/prose/critique/shohyou/binnonakanohonoo.html

ここに一部を引用してみよう。

「壜の中の炎」
窓に飾った古いガラス壜の中に、小さな月が灯った
小さくても部屋のかしこに、光は届いた
それはあなたとであった夜のこと
中村剛彦,『壜の中の炎』,「壜の中の炎」より

現代詩そのものが形式が自由になっていくわけだが詩らしい形式、世界を持っている詩を書く詩人が久しく出ていなかった。中村は10代から20代に書けて書き溜めていた詩篇を丁寧にまとめて一冊の詩集を刊行する。銀色の装丁と黒い皮のカヴァーをもった第一詩集に。
この詩集に収められた「ソース中毒」や「秘密」といった詩の初期形態を中村は20代中場にすでに完成させていた。中村と金杉が出会うことになるリーディングの会でそのそれらの詩篇は朗読されていた。
私はこの詩集にジェームス・テイトやシルヴィア・プラスといった詩人の作品を翻訳し収めていることも興味深く感じていた。

私の身体は瑪瑙。彼女らは私に触れる。まるで水が瑪瑙に触れ
優しく滑らかなかたちにして過ぎ去るように。
彼女らは鋭い針の先で私の感覚を奪い、眠りに導く
私は私を失った。ただそこらの荷物に吐き気がするだけ
黒い薬箱の様な特性の皮の夜具ケース。
シルヴィア・プラス,中村剛彦訳,『チューリップ』,「壜の中の炎」


自ら命を立つ形で夭折した女流詩人として知られる”この詩人の作品たちの翻訳は興味深いと”在りし日の金杉に私が伝えたとき、このもう一人の詩人は「たけさん(中村)は死について深く考察した詩人の一人だ」と深い声で語っていた。

 第ニ詩集の本作に納められている「詩人の目」に出てくる中村と金杉の間の対話も二十代のあの時代にお互いの間で実際の会話で交わされていたものであり、私がその場にいたことがあったことも回想させる。あの頃の若き日の二人の現代詩人や私も含めた仲間たちとの言語や会話が、中村剛彦の第二詩集「生の泉」に納められている。

 作品中の会話の部分のごく一部を引用してみよう。(実際に手にとって読んでみてください。良い詩篇です。)

「俺たちは月と木星、いや金星と冥王星



「あれは俺達が放り投げた魂ってやつさ」

中村剛彦,『詩人の目』,「生の泉」より


あの時代にカフェや酒場で目の前で実際に交わされた言葉が作品として一冊の詩集に折り込まれている。中村は先に旅立った一人の現代詩人の死と向かい合いながら第二詩集を展開していくのだが、その内容は友人の死を前に出さずそれを隠されたテーマのように描いている。死と向かい合いながら同時に生を、そして現代詩人として詩作を重ねていくこと意義を打ち出していく。

手術台の上で
あなたが切に願っていた人生を
僕もみつけたのかもしれない

でもその時は僕も待合室で眠っていた
マイケル・ジャクソン
あなたと踊っているのを笑ってみていた

あなたの体内から運ばれた
死んだ内臓を眺め
甘い寂しさはなぜ湧き上がったのか
中村剛彦,『夕暮れ』,「生の泉」より


 西脇順三郎の「馥郁タル火夫ヨ」に納められている瀧口修造や佐藤朔らのアヴァンガルドを志した薫るような詩的言語とも、戦後の岡田隆彦吉増剛造らの戦後世代の感覚を前面に打ち出した現代詩とも異なる言語が広がっている。そして日本社会がバブル経済からバブル崩壊へという流れにさしかかっていく80年代になって登場してくる朝吹亮二松浦寿輝は彼ら以前の詩人たちと異なり、個と個がそれぞれ隔絶したように点在するようになってくる。彼らのペダントリーな作風とも異なるナイーヴでありながら透明な思考が展開をしていく。中村の詩的言語は2000年代の感性を持ちながらも、詩的形式を大切し、同時に繊細に対象を描写する。その底流にはうっすらとしたストーリーが折り込まれている。10年代の日本語で書かれた現代詩、詩的言語の地平の一つが芽生えている。

舞踊評論 (クラシックス・オン・ダンス)

舞踊評論 (クラシックス・オン・ダンス)

Dance Writings and Poetry

Dance Writings and Poetry

 私は再び詩と向かい合うだろうか。ゴーチエ、マラルメヴァレリー、あるいはロルカエドウィン・デンビーといった欧米の例をあげるまでもなく、日本でも多くの舞踊批評家が詩歌と接点を持っている。永田龍雄は数多くの短歌を残しているし、村松道弥や近藤孝太郎は若山牧水に短歌を学び実作を重ねている。今日でも俳句を愛好する舞踊批評家も少なくない。
 10年代を迎えたばかりのこの冬、慌しい仕事の合間に西鶴や其角の句、オクタヴィオ・パスや飯島耕一を読むことが多かった。またフラメンコの文脈から小島章司と親交がある現代詩人、大岡信吉増剛造らの詩を読むことがあった。中村剛彦の詩行は私にとっては同年代のアクチャルな言語であるのは事実だ。ある一頃を共に経過した詩的言語の紡ぎ手が同じ都市で活動をしている。
 今日、舞踊批評の現場はハイパーテクスト・ライティングとなっているし、マルチメディアで3次元ネットワークまで登場している。オブジェとしての詩・詩集を探求したマラルメの時代からさらに100年以上過ぎ、詩集はオブジェといえるのだろうか。

マラルメ伝

マラルメ伝

 あるいは印刷された現代詩ではなくロックやブルースの歌声、あるいはテクノポップサウンドアートにポエジーを見出すことになるかもしれない。とはいえ中村の試みはオブジェとしての詩集に、そして何より書かれている詩に可能性を感じさせるのは事実だ。

 一時代前から現代詩はすっかり凡庸になった。言語実験を試みながらも内容が空虚な詩、アキバ系のような若い女流詩人が書く感覚的な詩がもてはされていた。この凡庸さは身体表現、そして舞踊にも通じるだろう。感覚的な振付と構成のポップなコンテンポラリーダンス、“既存の考え方を崩す”というすっかりクリシェになったシンタックスと共にプロデュースされた多くのダンス作品たち―詩が詩として読まれる作品が少なくなったように、ダンスもまたダンスとして受け止められる作品が少なくなったのだから。大岡や谷川が語るように言語としての現代詩は80年代から90年代にかけて消費文化の中に吸い込まれていった。おそらく身体としてのバレエ・ダンスもそうだろう。コアな世界よりはポップでキャッチーなコンテンポラリーダンスがもてはやれるのも一時代前のダンスブーム、バレエブームの大きな傾向だ。

 夢や言語、そして身体をそっと意識の向こうに感じてみたい。そんな気分にさせてくれながら、同時に心温まる詩想を与えてくれるのが中村の詩作であるように思う。第二詩集で芽生えた詩的言語を太く大きな幹のある大樹へと育んでいく日々をみてみたい。