あくまで個人的な出来事から―椿姫

 ある悲しい出来事、数年前に見た「椿姫」の記憶、ある振付家との会話、そして邂逅が連なりあい、デュマ・フィスの「椿姫」を読みだしている。筆者は「三銃士」で知られるアレクサンドル・デュマの息子でもある。彼が二十歳のときの処女作であり、作家は女性解放運動などでも活動をしたのだが、今日知られているのはこの作品によるものが多い。
 私個人とってはホフマンスタールやピエール・ロティの小説、ないしはアベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」のような男性ならではのエクリチュールと比べてみると読みやすい作品だ。私がフランス語仏文学の古典を読みながら移動をしているその脇で周囲が携帯電話で通信をしていたりゲームをやっているのをみると時代を感じる。時代の秩序が変わってきていることを感じる。

 東京は夕立のような急な大雨に襲われた。金融不安という時代の中で環境問題も切実に感じるこの頃だ。唐突にガタリを読みたくなる衝動に襲われた。


BONANZAGRAM 2008公演「INTERMEZZO…その間を埋めるもの」
 三浦太紀の作品を久々に見た。新作は継父とであった子どもの物語をベースに連なりあっていく記憶や普遍的な男女や家族の像に挑んだ作品だ。舞台の上ではカップルや子どもと親の物語が展開していくのだが、衣装や演出が日常的な衣装だったりとリアルで具体的でありすぎて踊り手や肉体から立ち上がってくるナラティヴな空気や互いの関係が作者の意図ほど立ち上がってこない。やや詩的な演出を用いて抽象的な主題を描ききるに足りる作舞をした方が観客のイメージの深層に切り込めたはずである。
 若い男性のダンサーがポワントを履いて踊るシーンは少年の異性への憧憬や父親を失った少年のアンバランスな心理を感じさせ官能的だったし、冴子の作品などで活躍をする櫻井マリも両性具有的な雰囲気やシャープなムーブメントで魅せていたのだが、テーマを切りだすだけの作品全体の構造や構成が弱くイメージとイメージの連なりあいに終始していた感があった。三浦は時代の潮流に敏感なアーティストだが明確な構成とそれを可能にする振付と作風をより強くもつべきであるように思う。
(マチネ 東京芸術劇場 中ホール)
演出・振付:三浦太紀
出演:三浦太紀 櫻井マリ ほか