まとめて数日分

すでに8月14日分、15日分にまとめて短文やインタビューが掲載されているので、ここにまとめて、数日分、記録を書いておこう。

8月14日

いきなりDance Function M 公演 Vol.5
「non sense」

媒体にてレビュー

吉祥寺シアター http://maps.live.com/default.aspx?v=2&cp=35.703799~139.583531&style=h&lvl=18&tilt=-90&dir=0&alt=-1000&sp=Point.pskpjwwgmvvz_%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A3%90%E7%94%B0%E5%B8%82___~Point.pskb7mwgnb3f_%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E7%A3%90%E7%94%B0%E5%B8%82%E4%BA%8C%E4%B9%8B%E5%AE%AE%E6%9D%B1%EF%BC%93%EF%BC%8D%EF%BC%92___~Point.pyhk2vwmyry9_%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E6%AD%A6%E8%94%B5%E9%87%8E%E5%B8%82%E5%90%89%E7%A5%A5%E5%AF%BA%E6%9C%AC%E7%94%BA%EF%BC%91%E4%B8%81%E7%9B%AE%EF%BC%93%EF%BC%93%EF%BC%8D%EF%BC%92%EF%BC%92___&encType=1 )


 ずっと案内をいただいていながら、気にとめていながらも、足を運べていなかった会というのは気になるものである。松原秀種と青谷淳子は共に若松美黄・津田郁子の作品に良く出ている踊り手たちだ。松原は淡路島出身だが北海道にいた時代があり、北海道の能藤玲子の作品で能藤とデュエットしているときなども非常にいい味を出している。自主公演にはいけていなく、いつももうしわけなく思っていたのだがついにいくことができた。課題はまだいくつかあるとはいえ、数年前に横浜ランドマークタワーで飯塚真穂、内田香らと共に作品を出展したときより作家はさらに伸びていた。また新鋭作家としてあの合同公演に出展していた理由が良く解った。若松系というと平山素子の名前が若いオーディエンスの間から上がってくるかもしれないが、私に言わせると平山の動きの質感はH.R.カオスに作家がいたということもあるのか、若松とはまた別物である。むしろ松原、青谷の世界の方が、「自由ダンス」(若松美黄・津田郁子)という感触を色濃く残しているようだ。若松がこの概念を提唱した時代に、土方や笠井は舞踏というタームを主張しだすのである。もちろん、70年代の若松の「叛旗」や「村へ帰る」といった名作の時代に比べると二人のその質感は彼の90年代、2000年代的である。若干、津田近代舞踊派の空間構成の名残りのそのまた名残りも感じた。


    *      *      *       *        *

 コンクールをはじめ、様々な作品に接することが大切だと思っていたところ、たまたま、日下四郎の次の文章を読んだ。

「そもそも批評界・評論家の役割には、高所・特権からの切捨てではなく、可能な限り個々の作品に接して、新しい才能を発見するための努力が求められている。例えば戦前の話になるが、その当時の批評家のひとり永田龍雄が、おのれの論評一つで、まだ新人だったあの津田信敏の才能を見出し、日本の舞踊界に見事な華を咲かせたことなどそのよき一例だ。」

(日下四郎、『(社)日本現代舞踊協会の存在意義について』、2007、《あんなこと・こんなこと》since 2000より http://www2.tky.3web.ne.jp/~ukaihiro/opinion%20only.htm )

 これは重要な指摘である。客席で見ていると、批評家より、実は舞踊家振付家のほうが作品を見ているのではないかとおもうことがある。1つの作家ばかり見るのではなく、幅広く、有名、無名の作家たちを見ていくことが大切だと思う。