池田弥三郎25周年
池田弥三郎没後25周年記念の催し物が行われたこともあり三田に行く。私の世代にとっては折口信夫先生はおろか池田先生も話の中の人である。銀座の有名な天麩羅屋の息子に生まれ、子どもの頃から銀座で過ごしてきた人で、趣味人であり折口門下の代表的な論客の1人だった。ちなみに岡野弘彦はテクストで何回か読んだこともあったが話をきいたのもこれがはじめてだ。
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芸能学会大会、
池田弥三郎没後25周年記念「折口信夫先生と池田弥三郎先生のことなど」岡野弘彦
折口信夫の代表作「死者の書」の成立について述べながら、岡野と折口、学兄にあたる池田弥三郎の話が話された。池田に関する話はいわゆる思い出話程度で話のメインは「死者の書」である。
- 作者: 折口信夫
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 1999/06/18
- メディア: 文庫
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慶應義塾大学文学部主催 折口信夫『死者の書』より池田弥三郎脚色、素浄瑠璃「憑りくる魂」
語り 豊竹咲太夫 三味線 鶴澤燕三・竹沢宗助
岡野の話を経て、折口の「死者の書」を池田がさらに脚色した「憑りくる魂」が上演された。この作品はその時代の池田が東をどりに傾向していたこともあり新橋演舞場http://www.ginza.jp/culture/closeup/0705_azuma.html で昭和30年に上演され、昭和33年に芸術祭参加作品としてラジオ東京でも流されたものである。豊竹咲太夫は二回ほど池田にあったことがあるという。他界をした観世寿夫 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E4%B8%96%E5%AF%BF%E5%A4%AB は池田のこの作品を好み、観世の父親の<霊>を感じ取るために、暗い部屋の中できいたのだという。伝統芸能やそのジャンルの実演家の意識を考える上で興味深い現象だ。現代語でいわゆる創作のような浄瑠璃が語られるのだが、折口の作品を脚色していることもあり、言葉の響きが美しく、語られる内容も国家と死者をめぐる話のため、日本という国民国家の中でこの作品が、<現代の神話>として機能していくことの意義について考えさせられた。ちなみに日本舞踊では「死者の書」にモチーフをとった作品がいくつかある。池田は唄を歌うことができたようで、唄を唄っては、現代のポップスや現代語に置き換えられるということを豊竹に披露したこともあるという。バレエの前田新奈や真忠久美子も客演する未國 前川十之朗 http://www.mi-kuni.com/top.html の作品では古典で活躍する唄い手が現代語で唄うが、古典をしっかり習得した実演家の表現の中でもこの透明な質感は際立っていてある意味異様だ。
池田が退官をしたときに慶応義塾三田キャンパスのすぐ近くの神社に榊の木を植えたのだという。その木の枝が25周年ということで写真の前に飾られていた。
(慶應義塾大学三田キャンパス西校舎ホール)