同時代のダンサー

 同時代のダンサーについて考えるこの頃だ。例えば山野博大先生は現代舞踊の芙二三枝子を東京新聞のコンクールに出てきた頃から見ていると語るし、50年代、60年代の舞台の中でソニア・アロワ ( http://www.kk-video.co.jp/comments/toki/saiga/saiga_toki02.html )


Erik Bruhn & Sonia Arova dance in Coppelia (vaimusic.com)

やダニロワ ( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8B%E3%83%AD%E3%83%AF )


Alexandra Danilova dances in Gaite Parisienne (vaimusic.com)

の思い出を回想することがある。これを自分自身に当てはめてみるとどうなるだろう。現代舞踊に限っていえば平山素子や二見一幸、内田香、能美健志、飯塚真穂らは私が批評活動を開始したときにはすでに90年代から2000年代への流れの中でそれぞれにコンクールに入賞するなど社会的認知を得たスターとして、すでにそこにあった。ちょっと上の世代でありながら、世代が近い分、同時代ともいえるし、微妙に言い切れないところもある、すでに作家としてそこにあったのである。若干のタイムラグも作家によって存在し、例えば矢作聡子の作品を最初に見たのは矢作がフランスにいた時代で、「楽園」と題されたその作品では後にほうほう堂で大きく社会的に認知されることになる新舗美佳や「私の星が生まれる日」、「やがて身体が腐りはじめ…」、「白鳥の唄」そして「半神」といった作品を後に発表することになる山中ひさのが活躍していたように思う。しかし矢作と私が実際に最初に出会ったのは在外研修から作家が戻ってきたからでエリック・サティの迷曲「ヴェクサシオン」と一緒にパフォーマンスをやった会だったと記憶している。木野彩子や深見章代もこの会に出演していたと思う。宮本舞、吉原有紀、(三宅)冴子、昆野まり子、池田素子、平多理恵子、そして菊地尚子ともそれぞれに同じようなラグがあるように思う。コンクールのシニアの部の初期から見ていた作家となると、横田佳奈子、池田美佳 http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20070123 、所夏海、前澤 亜衣子・乾 直樹、上原かつひろ、野村真弓、山中ひさの、鈴木麻依子、荒木まなみ、北島栄、蛯子奈緒美、桑島二美子、小林泉、横洲良平、大竹千春、中村真知子、佐々木由美、金沢恵美、宮川かざみ、永瀬訓子といった面々がすぐに頭に浮かんでくる。コンクールに出ていないが山田茂樹も印象的な踊り手の1人だ。http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20060205 山田はある関係者によれば松本道子バレエ団にゲストで出ていたこともあるようだ。http://www.balletmm.jp/
 コンクール初期は見ていないが池上直子も忘れてはならない踊り手だ。在外研修などで海外に行ってしまった踊り手を含めればもっといる。島田明美、島田美穂は上演記録を見ている限り、どうやら学生時代に偶然見ていたようだ。彼ら彼女たちの中で、かつての折田克子・前田哲彦、土方巽大野一雄、若松美黄や近年の『闘ってきたのは中村友紀』 http://www.kk-video.co.jp/concours/tokyo2000/modern01/genbu01kekka.html のように共感を持って"自らの命運をかけた激しい疾駆ともいうべき軌跡"を見ていける作家はまだ出てきていない。あえていうなれば現代舞踊ではなくコンテンポラリー・ダンス(とカテゴライズすること自体本人は嫌がるかもしれないが)のイマージュオペラ脇川海里は現代の実演家の中ではテクストをかける分、意識をテクスチャルに共有できるところがある。
 バレエでいうなれば、私が最初に出会ったのは島田衣子や児玉麗奈 http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20051121 (私が出会ったときにはNBAを退団してしまっていた)のように創作やコンテンポラリーで踊る作家たちだ。そんな中で志賀育恵http://www.ikue-garden.net/  や伊藤友季子は年代が近い踊り手の中で印象的に覚えている一人だった。橘るみは優れた古典の踊り手といえるだろう。岡本佳奈子も大切な逸材だ。http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20061010 岡本は古典も見事だが、モダンだとホセ・リモンの「ムーア人パヴァーヌ」を昨夏に踊っていた。 やや年上になると厚木三杏 http://www.kk-video.co.jp/ballet-co/stardancers/atsugimia.html 真忠久美子、 湯川麻美子、吉田都など批評活動をはじめる前からファンだった踊り手が何人かいる。バレエ・デゥ・ブルゥ=20世紀バレエ団の世界を受け継ぐ千賀抄織もとても思い出深い踊り手だ。

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その時代に人気がある作家というのもあれば、その時に見逃せない作家もいる。特に年間を総括するような記事などでデータを組んでいると、社会的に意義を持つデータなのか、個人的に重要なデータなのかということもあり、基準が難しいときもある。

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 時折、街中で、彼ら彼女たちの誰かに似ている人と出くわしたりする。
ある時、列車に乗ろうとしたらドアの向こうから陽かよ子に良く似た人が降りてきた。ベルギーに留学をしている陽が帰国したのかと一瞬思ったが、すぐに違う人と解った。ダンサーたちはこんな風に日常生活の中のイメージと重なることがある。この場合、たまたま日本にいない作家だったため強く印象的に残ったのだが、対象は平山素子であれ、矢作聡子であれ、島田衣子であれ良いのだが、作家たちが何を表象しているかということなのだろう。
彼ら彼女たちは、いわば折口信夫戸板康二ではないが、非現実の中の人々、日常世界から切り離された人たちなのだ。故に私にとっては日常の中では見たくない存在である。

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 彼ら彼女たちの活動を語る批評の現場も電子メディアの台頭によってさらに変わってしまったのも事実で、もうダンスライターがDVDを監修したりするどころか映像をStreamingすることも出来る時代になっているのだが、http://www.dance-streaming.jp/ 電子媒体を通じて活動を行っていると、いわゆる文壇や論壇の中心と異端といった世界と異なり、電子メディアには「中心など存在しない」*1ということを強く思い知らされる。少し上の世代のダンスライターを見ていると最後の出版メディア世代ともいうべきジェネレーションは出版メディアの感覚で仕事をしているが、早くから電子媒体で仕事をしてきた書き手やニフティサーブのフォーラムなどで活躍をしていた人たちの意識の差に驚くことがある。さらに私となるとフルデジタルな世界で生きてきたような部分がある。書いていてもイデオロギーと共に「外部」に強く変革を志向したり、よく柄谷行人の書名をパロディにして「内省」という言葉を使う人もいるが*2、「内面と向かいあう」というプリントメディア的なエクリチュール、意識と異なってくる。ニューアカ世代に流行った古典「十牛図」や禅ではないが、内面を変化させながら外界を意識していくようなイメージを持つ。なんだかブライアン・イーノやジョン・C・リリーのようだと思うかもしれないが、彼らの生み出したカルチャーをモロに受けているわけでそれは致し方ないかもしれない。テッド・ネルソンのアシスタントをしていた経験がある私はオルタナティブとは深い接点があるといわざる得ない。イスラームの文脈も登場する井筒俊彦の世界ともシンクロする部分はあるかもしれない。そうすると、50年代、60年代の20世紀舞踊の会の面々が論じていた「行為」や「肉体」、あるいは「かぶく」(郡司正勝)といった様々なタームも戦後社会からさらに位相を変えることになる。おそらく50年代、60年代の彼らの舞踊論、あるいは90年代以後のコンテンポラリー・ダンス批評からいかに「”論じること”の距離」をもって舞踊論を展開するかということが同時代のジェネレーションの舞踊、舞踊論の鍵となるはずだ。

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 ある時、福田一平先生は「永田龍雄も牛山充も明治の人という気骨があった」ということをおっしゃったことがある。蘆原英了は自叙伝で日露戦争の翌年に生まれたことを物語り、軟派な世代だと自身を語っているが、次第に舞踊批評家は豊かな世代になってきた部分はあるかもしれない。その意味では精神性は重要なのかもしれない。その一方で批評家の大田黒元雄も銀座界隈をはじめ風物を良く書いた池田弥三郎もいずれも趣味人で遊びと消費にエネルギーを費やしたようなところがある。批評家ではないが鈍翁こと益田孝や小林一三もそうだ。彼らは現代人にない遊び心とダンディズムをもっていた人々だったのも見逃せない。大田黒は『吉田秀和から「大正リベラリズムが生んだひとつの典型。今でもあの人が私の唯一の先輩」と評された』という。*3

 では舞踊批評家とはある種の社会的・文化的に恵まれた世代だけのものかというと必ずしもそうではない。戦前から戦後一時期にかけて活躍した近藤孝太郎は批評活動を辞めた後に幾ばかりかの訳書を残し、労働者に絵画を教えながら暮らしていたという。近藤は戦前の舞踊ペン倶楽部などで健筆をふるっていたが、ある種社会派のような視線のある書き手だ。
 私も彼らのようなランティエと違い、ある意味で第二次ベビーブームの中で育った人間というべき部分がある。文化的には恵まれた方で感謝の思いはつきないが、一般市民として生きてきたの部分はあるといえる。つまり私の批評活動の原風景には21世紀の一般市民にとっての舞踊という側面があるのはこの辺りだ。

*1:吉田悠樹彦,「ダンスコロキウム#3 シューベルトの楽曲 『冬の旅』に寄せるロマンティックダンス」(音楽舞踊新聞,音楽新聞社 2006/2/21)

*2:柄谷行人「内省と遡行」

*3:Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E9%BB%92%E5%85%83%E9%9B%84 より引用