平多正於舞踊研究所 創立60周年記念公演

 ”子どもとダンス”という問題系*1は近現代においては児童舞踊という児童文化、そして舞踊文化を形成したが、現代でも子どもと身体性など多くのアクチャルなテーマを内包する領域だ。
 児童舞踊の平多正於舞踊研究所創立60周年記念公演が行われた。現代のシーンに平多利江、平多理恵子*2、塙琴、前澤亜衣子*3といった踊り手たちが活躍をみせている。また岐阜のかやの木舞踊学園によるダイナミックな舞台や平多達樹の活動も評判を呼んでいる。そんな一門の足跡を振り返るような公演だった。


平多正於舞踊研究所 創立60周年記念公演
―門下生参加による平多正於先生を偲ぶ―

媒体にてレビュー

メルパルクホールTOKYO)


 終演後、平多正於舞踊研究所創立60周年記念祝賀会も行われ戦後の児童舞踊の歴史を体験できるような証言も数多く語られた。


平多正於舞踊研究所創立60周年記念祝賀会

 終戦直後の路上にまだ孤児があふれていた時代の話を年配の舞踊関係者からきくことも少なくない。若き日の平多正於はそんなまさにそんな時代の最中といえる1947年に島田豊舞踊研究所に29歳で入所する。当時、戦争で踊れなかった子どもたちの一気に放出されたようなエネルギーはすごかったと語る関係者もいる。この年の11月にこまどり舞踊会が誕生するのだ。その時代から島田正男、後の平多正於は児童舞踊について周囲に語っていたようだ。山野博大は作家の作品に出会ったときは、まだ名前が島田正男だったことを回想する。翌年、島田正男は江口隆哉の下に入門し、月曜会などで活動を行う。1958年からは平多正於舞踊研究所として現代舞踊に進出をした。平多は繊細な人間だったがそれを有能なスタッフたちがサポートし何度も上演されてきた作品「泣いた赤鬼」や門下のコンクールでの活躍など大きな業績を成し遂げるにいたった。その時代、戦後社会のベビーブームや独特の活力あふれるエネルギーから時には2000人も門下生たちがいた時代があったというエピソードも語られた。現代の日本社会は小子化の時代であるが彼らは積極的に活動を行っている。その創作活動の中では日本のことばの美しさに注目をしたことも重要な要素だという。そんなエピソードが関係者の口からお祝いの言葉の中で語られた。
 門下は多岐にわたり舞踊家や舞踊関係者のみならず幼稚園や保育、メディア産業の関係者まで様々な才能を送り出した。児童舞踊協会の中村明は印牧季雄の門下でもかつて一門会があったことを回想しながら、現代でも大きな人のつながりを生み出しているのは名取の制度があったことということを指摘していた。時は流れて正於に実際に会ったことがある門下生も少なくなってきた。しかしさらなる次世代への挑戦が始まっているようだ。

 日本の舞踊批評では芸術舞踊がとかく重きをおかれがちだ。その中で児童舞踊の重要性に着目をしてきた何人かの批評家もいる。その現代への流れは一大文化史といえ未だに解明されていないことも多い。
 戦前の童謡運動の時代、関東の印牧季雄や柿沢充、賀来琢磨、そして関西の島田豊が活動をしていた頃は媒体も多く登場し、芸術家やレコード会社のようなメディア産業の関係者のみならず広義に学校教育や保健まで様々なジャンルの才能たちが集まった。また彼らはそれぞれに切磋琢磨の場としての会を持っていた。
 そんな場をこの情報メディア基盤が行き届きだした現代社会から近未来の彼方に向けて再び創出していくことが求められている。

(メルパルクホテル5F)

*1:吉田悠樹彦,『子どもたち、そして大人たちにとってのフロンティア─タンダバハ ダンスカンパニィ80年に寄せて』収録, 賀来良江,「タンダバハ ダンスカンパニィ 80年史」,東京新聞出版局,2006

*2:吉田悠樹彦,「童心をこころに-ダンスとこどもをめぐって-平多理恵子-」,「CORPUS コルプス」 , 書苑新社, No.1, 2007

*3:2007年インタビュー記事:http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20070603