橘バレヱ学校

 今年の橘バレヱ学校 学校公演では3日間に渡って6人のバレリーナたちが卒業作品で踊った。ある舞踊批評家の最初の仕事が橘バレヱ学校のこの学校公演だったということもありずっと気になっていた。しかしなかなかこれまで日取りがあわなかったりしたため、今回初めてその2日目と3日目を見ることができた。6人の若き才能たちが世界に羽ばたいていくわけだがその姿は初々しくもいずれも輝いていた。
 過去の卒業生たちのデータを見ていても実に様々な踊り手たちがこの公演で踊っている。大原永子(第3回)、早川恵美子(第5回)、森下洋子(第9回)、川口ゆり子(第11回)・・・と現代のバレエ界を大きく担う才能たちの名がきら星のごとく連なっている。
 基本的には発表会の評は事情がない限り自分からは書かないことにしているのでここには詳しくは書かないが、いろいろな表現のベーシックになりそうな作品から、「タリオー二への想い」といった教育的な知識も織り込まれた創作作品、そして「乗馬」や「ラケットと人形」などいわゆる児童舞踊の作家には創れないようなバレエならではの可愛らしく奥深い小品など様々な作品たちを楽しむ事ができる。橘秋子は児童舞踊についてもその重要性を指摘していたが*1、幅の広い作品たちは親しみやすく奥深いものだ。それぞれの作品が昔から上演されてきた作品でありいろいろなエピソードを持っている。戦後から現代までシーンをひっぱってきた名だたるダンサーたちが踊ってきた作品たちでもある。そして公演の最後を締めくくる卒業作品を経て世に大きく出ていくことになる若き才能の姿をみることができるのだ。
 幅の広い批評家たち桜井勤や山野博大や浦和眞、久保正士、そして現代では"舞踏"批評家として知られる合田成男にとっても橘秋子は大きな存在である。思えば山野、浦和、市川雅、久保正士らが若かった50年代・60年代はバレエ評にとっても豊穣な季節であったのではないか。特に山野・浦和は慶應バレエ研究会前後から日本のバレエや当時本格的な来日公演が始まったばかりの外来公演に接し、彼らは高校時代からバレエを語り合い論じ合うような環境を持っていたのである。同級生の中には戦後初期の男性舞踊手たちもいた。日本社会が戦災により深刻な打撃を受けていたこともあったとはいえ、二十代から批評活動を開始することが出来たという幸運な書き手たちが多く、若い時期からバレエと接して既存の媒体で活動を繰り広げたり、リトルマガジンを創刊するなど熱い活動を繰り広げたのである。そんな彼らを育てた存在の一人が橘秋子であった。そして彼らは戦前から活動をしていた大田黒元雄や蘆原・光吉らに続くように戦後のバレエ評を立ち上げ大きくリードしていくのだ。この学校公演はバレエファンのみならずコンテンポラリーダンスのオーディエンスたちも時折足を運んでみると良い公演である。



第56回橘バレヱ学校 学校公演(3日目)

卒業生:鈴木真琴(「ラ・シルフィード」より第二幕 シルフ)

卒業生:宮原由后(「眠れる森の美女」より第一幕 オーロラ姫)

ゆうぽうとホール)

*初日は市村陽子、柳川真衣が卒業生として踊った。二日目は昨日のBlogを参照のこと。

【懐かしのあのページから】 
橘秋子展
http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20061105

*1:吉田悠樹彦,『子どもたち、そして大人たちにとってのフロンティア─タンダバハ ダンスカンパニィ80年に寄せて』収録, 賀来良江,「タンダバハ ダンスカンパニィ 80年史」,東京新聞出版局,2006