他流試合

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 他流試合という言葉があるが、私も時折、舞踊研究、舞踊批評というジャンルから外に出て他流試合をする。"Rolling stone gathers no moss"という慣用句ではないが、所詮、会社や学校組織それぞれのカルチャー、社風や学風などはその場のみで通じるものであり、一旦は外に出れば、通じないのだ。例えば、産学協同プロジェクトとか、在野で環境問題に取り組むようなNPОでも立ち上げてみれば、そんなことはすぐにわかるはずだ。ブランド組織のカルチャーはその組織ぐらいでしか通用しないことも多く、外に出れば非常識になることもある。
 一つの組織や国にずっといたり、そのカルチャーに惑溺しないで、横断的に世界で活動をしていくことが大切な意味はこういうところのもあるだろう。
 舞踊学会でも国内の舞踊学会のみでなく、海外の舞踊学会でやってみるのも体験として面白い。私はアジア・環太平洋では台湾とオーストラリアの舞踊学会で研究発表をしてそれぞれから査読付原著論文を出しているが、オーストラリアの舞踊学会では発表者がDJみたいなパフォーマンスをしながら話をしていた。

 今日も国際会議で出ていたが、「ポストモダンという概念もとっくに死んでもっと新しい流れが出ている」と吉見俊哉がモデレートしているトークセッションでアジア研究の関係者から発言があった。(浅田彰レム・コールハースのセッションが急遽中止になり新しいセッションが組まれた。)ちゃんと世間の流れを押さえることも重要なのだ。
 ジャンルの外に出て行くと厳しさも知る。ダンス研究者は少ないわけで、自分がいかにもわかっている顔をして売り込むことも出来るのだが、小手先は一時的にしか通用しないのも事実だ。もちろん、例えばありがちなパターンだと、舞踏系の研究者たちが、「土方が最初のオリジナルな日本のダンス作家だった」とか、現代舞踊に対するステレオタイプを関係者にあたかもそれが事実だったように広めているような現象もあり、偏りのないきちんと洋舞史を踏まえた認識を幅の広い研究者に示していかないといけない。
ジャンル外・国境外に存在するハードルの高さに対してはアタックをかけ続けることが重要なのだ。

 自閉症的だったり、惑溺して協働できなかったりすると淘汰されるのが現代である。ダンサーも自らの手でどんどん他流試合をすべきだろう。例えば矢作聡子や深見章代、脇川海里はあれこれ自分でフィールドを拓くべく健闘している作家であり共感を持つのはその辺りもあるからだろう。

 そんなわけで、


堀場国際会議
ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成
—The Theory Culture & Society 25th Anniversary

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という国際会議で仕事をすることになる。
朝から安田講堂につめることになる。夜は取材。


現代舞踊展 2日目

媒体にてレビュー

メルパルクホールTokyo)

 帰宅途中、乗り換えの駅で某舞踊批評家とばったり。その人は昨日はご一緒したのだが、今日はバレエを見に行っていた。こんなこともあるのだとびっくりだった。