記録文化、批評文化の変化

 2010年代になり時代はさらに変わってきているが、ダンスに関する記録文化や批評文化もどんどん変わっていく。舞踊批評家として活動をしだしてから数年後にPrix Ars ElectronicaのDigital Community部門で作業をすることになり、アナログなイメージのある職業の私が「コンピュータ界のオスカー」といわれるフェスで仕事をしているという現実にも驚かされた。
 その後、新しいメディアや科学に関するジャーナル”Technoetic Arts”(査読付ジャーナル)から論文を出したら、出版社のIntellectがそのあたりのプロフィールをうまくまとめてくれていた。

 一昔前はダンス写真というのは光吉夏弥のような写真とダンスの評論のパイオニアではないがやはりプリントベースだった。それが数年前からFlickersのPhotostreamやTumblerではどんどんダンス写真がプロからアマチュアまで様々なユーザによって公開されている。さらにダンス媒体までこういったところに最新の映像を提供していることもある。(http://www.tumblr.com/tagged/ballet)それがSNSのようなソーシャル・ウェブ・サービスを通じて広まっていく。中には広告や古い記録からとったもの、そして有名なものもあって、もちろんCreative Commonsに代表されるような著作権の問題もあるのだが、新時代の記録文化や批評文化を感じさせてくれる。
 一昔前までは関係者のみが持っていたような映像もDigital Communityサイトで多く広がるようになった。社会にデジタルメディアは浸透しているため、ユーザーがメディア環境で内部で閉じているという感覚は時代錯誤だろう。最新の動画映像はジャーナリスト・批評家、プロデューサ以上にアーティストの側でまわっていて、それをさらに一足先をいって紹介する必要がでてきた。Blogとはもともとはプログラマーが書いていたログのようなものだが、テクストデータのみならずScriptやURLもごく手短に書かれていた。故にプログラマーのログのような感覚でごく手短に映像データをアップすることなども行われるようになった。

 Twitterに関しては(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20090727)ラウンドテーブルのような論壇から誰もが発言できるようになった部分もあるのだが、あらゆる関係者が利用しだしている。3Dについては、私自身が身をもって、「これは昔だったらネットワークエンジニアがやるような仕事のスタイルだろうな」と思いながら、タイムラグを時には国際線で移動中の仲間とあわせ何度も時差を計算して(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20090621)作業をしていた。しかしその時に脳裏で「今の25歳前後のアーティストたち、2020年ぐらいに次世代のダンスを確立する可能性がある才能たちはすぐにキャッチアップしてそういったことはこれから実現するであろう」と思っていた。舞踊批評の現場はすでに3Dなのである。私は2009年から2010年には国内では数少ない先行例として作品制作の場に3Dネットワークを持ち込んだのだが、彼らはあっという間に創作の現場にも取り込んでくるだろう。
 余談になるが、個人的かもしれないが、3D映像界のパイオニアとして活動をしてきた知人には演劇出身者が少なくない。彼らは演劇が立体表現でそれで2Dの普通の映像ではなく3Dへ来たという。オンラインで安価に舞台美術のイメージや振付を共有できるため、国際交流など時差がある共同制作現場でもこういった方法は浸透するはずだ。


(C)Ukiyo

 「プロジェクターとPCがあって、プログラミング言語が書ける、ないしはそういったエンジニアと組めばそれぐらいのことはすぐに実現してみせる」のが彼らだ。今のメディアアートを志望している若者のスキルも2005年前後から比べてさらに上がってきている。

 それから批評媒体の言語も変わった。プリントメディアが強かった頃は英語中心で欧米一辺倒だった。次第にネットワーク環境を反映してか、フランス語や中国語、スペイン語など使用人口が多い言語を用いたダンスメディアが増えてきた。フランス語やスペイン語のダンスサイトの利用は増えているはずだ。個人的な経験に基づけば、去年、身体文化(スポーツ)に関する国際ジャーナルから論文が出たときに、ジャーナルの編集・出版に関する会議にも出ていたのだが、多言語でジャーナルを編集するということについて、カナダや南米などのケースを先行事例にしながらディスカッションをした。ダンス媒体でも場合によっては英語とスペイン語など複数の言語を使う媒体もある。しっかりした媒体が多く、海外の関係者とも迅速に連動できる。私は実験的な試みがあって、仕事先がしっかりしていればその仕事は受けるのだが、こういった新しい経験をすることも多い。台湾でみたNoismの記事を現地のきちんとしたジャーナルに書いたら、(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20091223)すぐにネットがフォローをしているのにも驚いた。データはすぐにSNSなどと連動して世界に広がっていった。

 電子機器に作業をするために資料のデジタル・データをいれて移動することも多くなった。これは私ののみならずいろいろなライターが行っている。2000年ぐらいからTechnoetic Artsに書いたリーフェンシュタール論のように(映像データベースを構築してその解析を行った)実際のデータベース構築を行いながら研究をすることもあった。ダンス・アーカイヴに関しても仕事をしている。(http://www.dance-streaming.jp/documentation.html)最近ではファイルメーカーというアプリケーションを使ってデータを整理して本を出したというニュースが話題になったが(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100930-00000038-zdn_pc-sci)、データベースのような技術もジャーナリスト・批評家の必要な技術になっている。新しい時代の展開が楽しみだ。