花柳寿南海、エフゲーニャ・オブラスツォーワ

 昼は春一番のような陽気で夜は真冬のような寒さの一日だった。昼間は東京新聞主催の女流名家舞踊大会を見る。邦舞は今日の日本社会では情報化とグローバリゼーションの最中にある日常生活の中でノスタルジーと共に語られることが多いかもしれないが、この国の舞踊批評家にとっては実にベーシックでとても重要な世界だ。花柳寿南海振付の作品を見ることが多かった。洋舞のメディア媒体も邦舞についてもっと取り上げるべきである。
 昼の部、終演後、半蔵門会館から皇居の側に歩いていき、皇居の側を歩いた。そろそろ春が到来しようとしているのだろうか。
 夕方からはNBAバレエ団を見に行く。マリインスキー劇場http://f4.aaa.livedoor.jp/~russianr/info/theater.htm)からダンサーを呼んでこのバレエ団ならではの優れた公演をしていた。


東京新聞主宰 第83回女流名家舞踊大会 昼の部

 今年の女流名家初日昼の部は明るく親しみやすい作品が多かった。結婚を祝うという御目出度い花柳美喜女・花柳紫尾香の清元「梅の栄」から公演が始まる。上村松園の作品にヒントを得た衣裳をきた二人が優雅に踊るのだが、振付は花柳寿南海であり細やかな動きでも見飽きない見事な内容だ。同じ寿南海の振付が発揮されたのは清元「玉兎」だがコミカルなこの作品を舞台中央に置かれた屏風をつかった演出や二人の踊り手の個性を活用した構成から芸術性の高い作品へと仕上げていた。
 泉奈々「花鳥無常―二人静―」では本来二人の踊り手が踊る作品を一人で作家が踊りきった。巫女にのりうつった白拍子静御前を描く作家の表情が情景に展開があるこの作品の中でも目立っていた。藤本佳子の「雪」は地唄舞の有名な作品だ。作家は傘を地において踊るシーンや作品最後の情景など細やかな表情が意味を持つ情景でその力を発揮する。1つ1つの動きはより明確であってもいいが、重要な要所を押さえている演技でもありこれからが気にかかる。
 往年のベテランたちも活躍をみせていた。西川扇祥はすらりとした立ち姿がいつも印象的な作家だが萩江「金谷丹前」では紫色の着物をきて江戸の遊女を描いた。実に艶やかな表情はこの作家の実力を感じさせる。男の立ち役で知られた故・藤間藤子による御祝儀舞踊に挑んだのが藤間蘭景だ。常磐津「菊の栄」は晴れやかな空気を持ちながらも芸術性の高い振付を持った優れた作品である。蘭景の細やかな表情が時折この作品の要所をつかみとり実に見事に表現しており、さらに円熟を重ねてこの作品を踊ると作家の持ち味が映えてくるように感じもする。最後を締め括ったのが花柳寿南海長唄「風流船揃」だ。江戸の人々の情景が描かれている作品だが、寿南海の熟練をした演技は見る側に作品の中にさらに入りこめるような”隙間”も感じさせ当時の世俗な世界を見事に描写していたように思う。
 邦舞は洋舞の書き手にとってもノスタルジックな芸術でもなく21世紀の現代の芸術である。その存在は実にベーシックなものであり、なかなか歴史的背景や社会的なものを共有できなくなってきている新世紀日本の中でも理解し伝承されていくことが重要なジャンルだ。明治から大正・昭和にかけて花柳界でも親しまれていた都新聞から東京新聞へという流れの中でこの新聞を経て多くの踊りの書き手が世界に出ていったことを踏まえるならば邦舞こそが日本の舞踊文化の源流であるということができるだろう。
国立劇場 大劇場)



セルゲイ・ヴィハレフ新演出によるNBAバレエ団 新ドン・キホーテ全幕

エフゲーニャ・オブラスツォーワ、ヤロスラフ・サレンコ

ゆうぽうと