現代のフラメンコ

入交桓子Vol.10「Una Noche」

 フラメンコは日本社会ではポピュラーで若者に人気が出てきている。ダンサーが単に踊るのみではなく、カンテやギターなど様々な面から楽しむ事ができる芸能だ。バレエや現代舞踊と同様にフラメンコの踊り手たちの流れも数世代と積み重ねられて来ている。近年、戦後のフラメンコを知る年代の踊り手たちが彼ら彼女たちが踊りぬいてきた世代を回想するような踊りを見せることがある。入交桓子は小笠原庸子舞踊団を経てスペインで活躍をしたこともあるベテランの踊り手だ。現代や様々なジャンルとの接点の中で原点としてのプーロ・フラメンコ(純粋なフラメンコ)を強く考えるという公演が行われた。
ギタリストやカンテ、そしてピアニストが踊り手たちと一緒に現れると明るい雰囲気と共に舞台がはじまる。最初の「タラントス」は入交の美しいブラセオ(腕の動き)を活かした作品だ。長身の作家は古典的な表情が生きている。オリエンタルなイメージも感じさせ地中海世界の文化混交ともいうべき諸相を感じさせもする。「シギリージャ」では長身でくっきりとした表情の踊り手、へスス・アギレラが踊った。数あるフラメンコの踊りの中でもポピュラーな作品だが、この男性舞踊手の内面の孤高や深みを垣間見させる表現となった。
今回の公演の中で最も印象的だったのは明るく朗らかな「グアヒラ」だ。キューバ起源の民謡がフラメンコ化したものでのびやかに描かれることも多い。くっきりとした紫色の衣裳を着た入交が淡い色調のアバニコ(扇)を片手に紫一色となる。明るく溌溂とした演技を引き立てるのはサパテアードだ。力強く踏むだけの多くの踊り手と異なり表現にアクセントがある。女の表情にはグラシア(愛嬌)がひかる。
アレグリアス」はスペインの大西洋に近い港町カディスで生まれた曲だ。ポピュラーな明るい歌声とともに女性舞踊手が踊ることが多い曲である。男性がこの踊りを踊るのを久々に見た。白い上着をまとい磨きあがれられた靴を履いた伊達男アギレラが足を走らせていく。この男性舞踊手ならではの野生的な表情が立ち上がってくると良いだろう。間にピアノの間奏曲が入るとパレハとなり「ファルーカ」が踊られた。本来は男性の曲で貴公子のような若き日のアントニオ・ガデスが踊る映像も記憶に新しい。日本では女性も良く踊る作品だが今回はパレハに趣きをかえて創作された。男女の間の緊張感をより明確に描写するとスリリングな表現になるはずだ。ふとっちょのカンテ、エンリケ“エル・エステメーニョ”が表情豊かに歌い、とぼけるようにズボンの裾野をたくし上げたりすると客席が笑いでつつまれる。ごく短く「ブレリア クプレ」が踊られ、今度は二人の間で揺れ動く感情が刻みだされる。感情が交差することから生まれるソレア(孤独)の印象はくっきりと強く打ち出すのではなく、しっとりと短くまとめられた。コンパスの面白さも感じ取ることができる公演だった。
入交はほっそりとしているが上体からしっかりとした演技を描き出すことができる。古典的な風情もある美形舞踊手だ。作家は長嶺ヤス子や小島章司より若い年代の世代の作家だ。小島はユーモアをこめて「長老になった」と語ることもある。近年、現代より一世代前のフラメンコにアプローチした公演としてはテレサ林の素晴らしい舞台があった。入交は原点を見つめる形でフラメンコを芸術に昇華をしようとしているが、確かに現代の若手、鈴木舞・千琴、萩村真知子、工藤朋子らと比べてみるとその踊り方は確かに古典的にも見えるのだが演出などを多用せず細やかな表現を大切にしているように見えもする。21世紀初頭の現代のスペインは反グローバリゼーションスローライフといった文脈から語られることもある。現代のフラメンコの若手作家たちはコンテンポラリー・ダンスや現代舞踊の踊り手たちと同様に戦後世代のような強い外部への意識を持っていないようにも感じることがある。アルヘンチーナの妹であるピラール・ロペスの相手役として来日したガデスが安保闘争と同時代に舞台に立ったことはすでに伝説の時代だ。河上鈴子や香取希代子といったパイオニアたち、ロペスやグラン・アントニオといった踊り手の現役時代を知るジェネレーションと異なる若手の表現を考える上でもヒントになる会だった。
草月ホール