林洋子・中村恩恵 → JCDN

 官能的に身をつつんでいく冷気こそが大都市東京の寒さだ。湿度が高いが極東ならではの空気を感じる。

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ART×DANCE「横浜創造界隈のアーティストたち展」

 横浜を拠点とするアーティストとダンサーのコラボレーションに焦点を置いた企画が行われた。絵画や映像作品を出展した作家たちは一様に空間性のある作品を発表しており、企画が大きな意義を持っている展覧会ということが出来る。
 曽谷朝江は「無」をイメージした、淡いトーンの静かな風景の作品たちを出展していた。静かな庭の一風景を切り出したような展示を前に踊ったのは林洋子だ。林は2006年に横浜Solo×Duo Competitionでファイナリストとして踊っていることが記憶に新しい。吉沢恵の作品でも活躍をしたり自作の発表も重ねている。その新作「Fog」ではそんな画家の作品の心象風景を感じ取りながら、作家が光を感じるように両手で目を覆ってみたり、感じた世界を身でそっと表していく。久々に見た林は感情の位相が見事に身体に表れるようになり一段と進展を見せていた。大きく宙に身を走らせた後、地に身をふせるように動いたり、吉沢の振付で展開していたような形象美も作品の要所に登場するがすっきりと感性を作品で表現できるようになってきたように思える。
 中村恩恵は今回は日常的な衣裳で新作「Window」を踊った。背景にあるのは人間の立体的な知覚にグラフィックからアプローチをする橋本典久の作品だ。橋本は魚眼レンズで見た図像のような映像を円形の画像として展示している。前半、中村はオフバランスでごくごく日常的に感情表現をしていく―地に横になったかと思えば、反動をつかって身をそらし、リリースを活かした自然な動きを刻みだすといったように。背後には加藤訓子サウンドアートのようなパーカッションを使った現代音楽が響いていく。後半になるとモダンバレエを明確に意識した動きになるのだが動きは日常を抽象化していく一方で演出が日常的だということで不調和が生まれてくる。この不調和は意図的なものではない。作家がこの展覧会で展示していたビデオ映像では白いバレエを意識した衣裳をきて踊っているのだが、その時には機能をしていた身体言語が機能不全をしているのだ。作品としては劇場空間で演出を加えて上演すれば立派に機能する作品であるため、演出とスペースの広い空間性が作品の印象を散漫にしているようだ。
 さらに別の映像でイマージュオペラの相良ゆみの演技をみた。相良はバレエを習った経験があるはずだが、古典作品を踊るような衣裳でいつもと違う演技を見せていた。Off Nibrollはいつもどおりスクリーンセーバのようなポップな映像を展開していた。橋本の作品と同様にメタバース上でのアート(http://www.dance-streaming.jp/sl.html)モデリングされた3次元オブジェクトを感じさせる芸術世界だった。

横浜市民ギャラリーあざみ野)

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 その足で湘南へ。サザンの街、こと茅ヶ崎である。このエリアで活動をしているモダン=コンテンポラリーの作家も多く、栗山基子や稲川千鶴、酒井幸菜の名を上げる事ができる。バレエでも関係者が多い。藤沢は地方都市のようだがまだ東京の郊外だ。ここから東海道線に乗って茅ヶ崎へと向かっていくと、次第に都市と都市の間を弾丸列車のように線路が走っていくことになる。遠目に見る冬の海辺に心がときめく。これから海辺のクリスマスへ、そんな物語を感じさせる風情だ。東京とはまた異なるドライでほのかに暖かい海辺の冬の大気だ。カフェに入りゆっくりとくつろく。クリスマスが近いこの時期は海辺がやっぱりいい。コルベットで一走りをして、午後からいち早くカンパリでも飲んで、海沿いのトラットリアで暖かい魚料理を食べたい。村上春樹の「1973年のピンボール」に代表されるようなミーイズムとはまた違うのだが、オランダに行ってしまったアーティストの旧友の影響で海が原風景にある。浜辺で早朝からウェットスーツを着てヨットやウィンドサーフィンをしていたあの頃を思い出す。白く広がる砂浜と逗子マリーナが胸をよぎる。また久々に逗子の森戸エリア、中でも森戸海岸へ行きたくなった。

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JCDN 踊りに行くぜ!! Vol.8 茅ヶ崎公演

 このところ沖縄やアジアを視野に入れながら活動を展開しつつあるJCDNの「踊りに行くぜ!!」の茅ヶ崎公演が行われた。茅ヶ崎というと、東京近郊という印象もあるが、辻堂・藤沢より西であり次第に箱根、静岡が近くなっているということもあり首都圏にあるが地方都市と考えられるところもある。(私個人は平塚より西は首都圏というよりは地方に近いように感じる。)数組の作家がセレクトされて全国各地で踊っている。
 山田知美(奈良)による「駄駄」はコンセプチャルな作品だ。幕が上がると舞台中央にただ首を左右に動かし続ける女が立っている。女がただひたすら首を動かし続けると髪が宙を走り続ける。その姿が暗転するラストまで延々と続く。舞台中央で踊り手の前にはライトが置かれ、その影をホリゾントに投射している。このシンプルな行為を反復する意義がより明確に見えてくるといい。目黒にアスベスト館があったころ、アスベスト館で行われていたパフォーマンスや彼らが送り出してきた作家には、近年のコンテンポラリーダンスでもあまりない、どんなものでも許容する自由さがあった。それに近い空気を感じる。作品構造としては、伊藤道郎の名作「ピチカート」に近い。「ピチカート」は同じ設定でライトを前にダンサーが立ち、伊藤のメソッドである10ジェスチャーに基づく動きで腕と影の動きを連動させる作品だ。全く同じ設定なのだが、山田の試みはちょっとパンキッシュな空気もあり興味深く思えた。遠田誠+JOU(東京)の「六つゴト」はパフォーマティヴでラフな余韻を活かした作品だ。オシャレ系の洋風の生活を送る男女の二人の日常風景を描いた作品だが、JOUの艶やかさが作品を成立させていた。アンニュイで物憂げに見える女の色気を見事に発揮した作家に乾杯。一方、遠田の表現は見る側に閉じたコードを若干求めるのが特徴だが、この作品では自然に見ることが出来た。コンドルスや三浦宏之、そして遠田は50年代の無頼派のように活動したいのだが、そのワイルドさとイデオロギーの放出が、911以後でもこのまったりとしていてでも不穏な猟奇的事件も多発しているこの時代の空気と調和し、本人の意図はどうあれ、いわゆる”ラテン系”として成立してしまっているように感じる。厳しさを強いられる芸人の日々でありながらも豊かな時代や洗練を彼らの生活があるままに表出している。モダン=コンテンポラリーの若手の表現と比較するなら同じ男女のデュオの前沢亜衣子・乾直樹のスピーディーなデュエットと並べながら見ていた。前沢・乾の近作の作風と比べてみるとムーブメントの質感や構成にもあと一歩欲しくも思えるのだが、演劇的な描写が作品を成立させているメカニズムを現象として興味深くも思った。
 co.co.yo「WILD」(茅ヶ崎)は手ごたえのある作品だった。舞台四方の床にスポットライトが置かれている。その中で高橋咲世、山崎麻衣子、渡辺久美子の3人が演技をする。渡辺は近年コンクールでも出ているが、KAPPA-TEや武元賀寿子のグループでも踊っている。3人の踊り手たちがライトを使いながらポップスの高揚感と共にアクティヴに踊る。3人という設定があるのか黒沢美香&ダンサーズのメンバーであり、コンクールでは黒沢・下田ならではの石井系の現代舞踊を披露するピンクにも近い空気を感じる。横田佳奈子、所夏海、そして玉内集子ともおそらく同世代であろうこの3人の表現は珍しいきのこ舞踊団とも違うさわやかさがある。中でも渡辺の自然な表情が印象的だ。この作品をアレンジをして小劇場やモダン=コンテンポラリーのショーケースでも上演をすると良いように思える。
 続くKIKIKIKIKIKI「サカリバ07」もco.co.yoにも近い年代の作家による作品だ。ベットの上に女たちが舞台いっぱいに広がり作品がスタート。女たちは無意識や情動を描き出す。時折空中から飾りのついたマイクが降りてくる。踊り手の動きの構成を明確にする事で緊張感をたかめてやるか、ライブ感のあるパフォーマンスを見せるとなお良くなるはずだ。ベットの上に広げられた生花を彼女たちの一人の食べては吐くといった異様で興味深いシーンがあるのだから、作品の焦点を明確にする事が重要に思えるのだ。
 地域の劇場で活動を展開する彼らの活動がどのようなシーンを生み出していくかという事は興味深く思える。

茅ヶ崎市市民会館 小ホール)