伊藤道郎→飛天

 11月になったのに、まだ自販機に暖かい飲み物があまり出てこない。気候が暖かくなっているようだ。正午、一年ぶりに伊藤道郎の墓参をする。


伊藤道郎 墓参(巣鴨・染井霊園)
この1年の間は短くもいろいろなことがあった。伊藤がアメリカで踊っていた時代の舞踊批評家となるとジョン・マーティンやリンカーン・カースティンがすぐに出てくる。ダルクローズのヘルラウも、山田耕作、伊藤の時代から100年近く経つと今ではオンライン上に3DCGでモデリングされている時代だ。そんな事が胸をよぎる。


石黒節子ダンスシアター 「飛天の舞」

21世紀の舞踊批評家は宇宙で上演される舞踊作品についても考察をする時代のようだ。天空や無重力と身体というテーマと向かい合う時代なのだろう。
 現在、石黒節子は宇宙文化として舞踊作品をつくっている。日本人で宇宙というテーマと取り組んでいる舞踊作家の一人だ。数年前に平山素子と黄凱がジェット機を使ったテスト飛行の中で空中遊泳をしている映像を見たときは単純に人間の身体が宙を飛んでいるイメージが記憶に残ったのだが、この会のシンポジウムを見ていると、「宇宙文化として舞踊作品を作る」ということを行っていることがわかる。モチーフになっているのは敦煌の壁画に残され、日本の羽衣伝説にも登場する天女だ。作品を作ることに集中する姿勢から宇宙での化粧品や衣裳など広義に将来の人類の生活に使えそうなプロダクトが生まれてきているのは興味深い。アポロやスペースシャトルといった宇宙開発の時代から民間でも宇宙に行けるようなことがメディアをにぎわす昨今、宇宙での生活を考える時代なのだろう。
 「羽の描線」は今年の夏の現代舞踊展で上演した作品の再演。尾形光琳の描く孔雀が入っている作品だ。二瓶野枝、指宿ひとみといったこの舞踊団のラインアップの中に本間祥公のところで踊っている斉藤友美恵が入っている。清水美由紀の表情が印象深い。続く「HITEN」は2005年にパリで初演された作品だ。東野珠実が笙を奏でる中で、関典子、河田真理、伊藤伊都美がそれぞれオリエンタルダンスを踊る。江口門下の石黒らしい東洋的な構成美の世界を背景に、菅野真代(サンフランシスコ・バレエ)がくっきりと天空を示すように肢体を走らせていく。菅野と東野のインタラクションは東洋文化の深層を描き出す。背後には平山と黄の映像がプロジェクションされていく。スチール製の蝶がはためく傍ら、菅野は情景にたたずむ。
 若手の作品はいずれも飛翔や宇宙といったテーマを意識した作品だ。河田真理「浮遊する羽音(はね)」は画家P・クレーの詩にインスパイアされた小品だ。羽をつけたロマンティックバレエ時代のバレリーナを想わせる踊り手が次第にモデルネタンツを踊っていく。二瓶野枝「宙-sora-」は身体を宙に走らせ生まれるスピードと、ぱっと身を返して生まれることから生まれるリリースを活かした作品だ。広い会場と演出のためか空間を活かしていた感触を受けるが、より細部を練り上げればコンクールなどでも上演できる作品である。河田も二瓶も共にスタンダードな構成の作品であり、モチーフをより力強く立ち上げることも重要だ。ベテランの関典子は「Icarus」で充実した演技を見せた。異形の関が現れると床に横たわりやにわに宙を手足を指す。やがて神話の「イカルスの飛翔」や中央アジアの舞踊を思わせるように大きく身を走らせた後、羽が消えていくように哀しく情景にたたずんでいく。手ごたえのある作品となった。
 若い舞踊作家たちが石黒の次世代としてさらに宇宙文化を発展させていくことが楽しみだ。 
(スパイラルホール)


 新世紀の舞踊批評家について考えさせられた一日だった。