地方都市、花蓮へ

この日は淡水を離れて地方都市に行く。
flickersではないが写真サイトをみれば雰囲気が伝わるかもしれない。淡水とはこんな感じの街だ。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/taipei/postcard/?sel_theme=&sel_year=&sel_month=&txt_keyword=%C3%B8%BF%E5&submit_1=1&SORTBY=
起きてすぐにホテルで朝食をする。プレゼンテータの1人とお別れをして、ロビーに行くと地方都市、花蓮につれていってくれる向こうの大学の先生が迎えに来る。在来線で花蓮まで移動。窓の外が都会から変わってくると、田舎町になる。しかし道路の区画は日本のようである。

目的地の花蓮台北から2時間半、台湾の東海岸にある古いリゾートだ。
まじめな地図だとこんな感じだ。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/hualien/postcard/
写真サイトでみるとこんな感じだ。
http://4travel.jp/overseas/area/asia/taiwan/hualien/postcard/?PN=1&SORTBY=&sel_theme=&sel_year=&sel_month=&txt_keyword=&submit_1=1
戦前は花蓮港といったらしい。沖縄にも通じる亜熱帯の町並みと開けたヒロ人とした土地だ。ラジオからは一青窈の「かざぐるま」
http://www.youtube.com/watch?v=QwQbJJcUyjE&mode=related&search=
が流れてきた。ちなみに仕事前で残念だったのだがこのアーティストは読売ランドで無料コンサートをやっていたはずだ。ライトバンは混雑している路上を走り続ける。窓の外には田園や海が広がる。
実に豊かな土地だが、時折人々の苦しい生活も目に入る。昼食は案内の先生の行きつけの店で餃子を食べる。そのあとは国立公園 Toroko National Science Park http://www.answers.com/topic/taroko-national-park へ案内される。中国映画に出てきそうな峡谷の中を案内される。蝶や蜻蛉が飛んでいて唖然とする。先住民族の年配の人からは日本語で話しかけられる。彼らは最後の植民地教育の世代であり今でも先住民族の間では日本語が特に年配層の間で話されるらしい。
その後、羊の乳が売り物というこれまた現地のカフェテリアに案内される。太平洋を一望しながら、すこしひなびたアート系のカフェテリアで、南洋の海際の乾いた大気と共にコーヒーを飲む。背後にはEnyaがかかっていた。ハワイで使われるようなリゾート地特有の内装はこの店にぴったし入っている。他愛のない話をしていると次第に夕暮れになり台湾の田舎の夜景が目の前に広がりだす。
10代の終わりから20代にかけて海と海辺特有の青空、そして海洋性気候の中で育ったこともあり、こういう状況になると、メキメキ元気になる。やはり生活の中に海がないと生きていけないらしい。哲学者ミッシェル・セールも、かつて学んだテッド・ネルソンもボートハウスに住んでいた。私もこういう環境で生きていると自分らしく思えるものである。

夜はその先生の家族と一緒にまた地元の店に行く。花蓮には地の野菜や料理があるらしい。とにかく様々な方法で鳥を食べる。明くる日の授業で使う資料が必要なため、ネットにつなぐため、先生の勤め先の大学に夜中に行く。台湾の大学生たちも夜遅くまで勉強をしているようだ。日本で言う鈴虫やキリギリスのような虫の音が草の間からいっぱいに聴こえてくる。
 事情があり、宿泊先が変更になり、急遽、その先生の同僚の社会学の先生の家に居候することになる。その社会学の先生は先住民族の研究をしている人だ。夜中におしかけたのにいろいろご馳走になり就寝する。

 台湾は4世代ぐらいしか世代がないまだ若い国だ。内外の難しい事情があるが、歴史が長くない分、若い人に活気がある国でもある。
北海道や沖縄で日本を考えていたのと違い、周縁のさらなる外部、別のガバナンスの下にある土地にいる感覚も面白い。領域の周縁になると新しいフィールド・領域を立ち上げることもある。そんな空気に近いものを感じた。