台湾国立芸術大学で講義

前日は深夜に寝たのだが、早々に6:00に起きる。亜熱帯の冬の朝は暖かい。窓の外からは虫の声が響いてくる。シャワーを浴びて朝食。
泊めてくれた人が社会学者だったのだが、丁度Traveling Theoryに近い研究をしていることもありSNSやメールの時代の「観光」の話になる。その先生が調査をしているアメリカや台湾の先住民族の話もする。
朝、7:30に迎えのライトバンがつく。台北へ移動を開始。車は台湾東岸部の田舎町を疾走する。台湾人は外交のコンセプトに「フレキシブル」というキーワードを設定している。Susan Fosterの下で学んだ台湾人の友人は
「Choreographing Flexibility」という論文を書いていた。フレキシブルでありながら、底抜けの明るさと暖かさを兼ね持っている彼らのスタンスは絶望との裏腹にもある。オクタヴィオ・パスの論にある明るさはメキシコの内政への絶望から来たものがあると松岡正剛がどこかで書いていたように思う。
8:00の汽車に乗る。社中ではひたすら今日の仕事の打ち合わせ。11時に台北着。すぐにタクシーで大学へ移動する。台北ではNational Taiwan University of Arts(NTUA)という大学の舞踊研究所舞踊史部門で2コマ講義をする。台湾の若手ダンサーは少し違う。南洋的な独特のほりの深い顔をしている。
シンポジウムがあったのはTaipei National University of Arts(TNUA)という大学で、ここはCloud Gate舞踊団のLin Hwai-Minが創立した総合芸術大学だ。しかし授業をしたのはNTUA、台湾国立芸術大学なのでネーミングが似ていてちょっとややこしい。次世代を担うことになる若い台湾のダンサー達に午後1時から4時まで授業する。担当の教師と夕方にご飯をした後、ホテルまで送ってもらう。MRTで移動をしながら地名の話になる。その先生は沖縄をフィールドワークしたことがあるのだが、沖縄の年寄り達は子どもの頃に見た台北の動物園などをよく覚えているという。
その後、再び今度はTNUAに戻り、TNUAで週末行われる公演のリハーサルを見せてもらうことになる。夜10時までリハーサルを取材した後にホテルに戻る。 バスの中のクリスマスソングがかかっていた。今年のクリスマスはこの出張で感じたようなところがある。

舞踏饗宴(踏は中国語)Dance Fest 2006 TNUA 永遠的牧神 Nijinsky リハーサル

最初の1本は途中からなので見ることが出来なかった。劇場教室に入った段階で終わってしまった。バレエとモダンの作品の2つが上演された。モダンの作品は日本の現代舞踊にも通じる持ち味がある。王維銘「走行的樹」は元CloudGateの振付家による作品。数人の踊り手が手に大きな布を持って舞台に立ち尽くす。うねるような音が少しづつリズムを刻むとが彼らはあまり動かず、時折、上半身や肩など身体の部位を動かしていく。動きよりは構成で見せる作品だ。リハーサルなのかマイクで駄目だしが飛ぶ。そのためかダンサーの集中が今一歩なのが惜しいがいい作品である。
 この公演のタイトルでもある目玉は「牧神的午後」尼金斯基−王雲幼舞踊重建はニジンスキー「牧神の午後」の再演である。岩の上で寝ていた牧神が起きだし、女たちと踊ると、また牧神が眠る。台湾の舞踊研究は日本人が思っているより水準が高く、実際にスコアなどの関係を手配をしながら上演したようだ。数年前にWorld Dance Allianceアジア環太平洋のニューズレターでニジンスキーの再演に関してスコアと著作権の関係についていろいろ手配したという記述があったのだがこの作品も同じように研究を重ねて上演されているのだろう。同じようにダンサーがリハーサル中なのか、特に主演の牧神の集中力がもう一歩というところだったのだが、女たちを踊った若き女性ダンサーたちの踊りは初々しく心地よかった。アジア人たちが踊るこの作品は全盛期初頭のパリで踊られたレパートリーとはまた異なるように思う。さらに鮮やかに感じたのは衣裳とセノグラフィーの色彩だった。(ルドンはゲネプロで見てマラルメが生きていなかったことを残念がりニジンスキーとバクストを絶賛したという。)
「古典交響曲」霍華拉克は現代バレエだ。女性たちと王子が踊るスタンダードすぎるほどスタンダードなバレエ作品だ。「公主與間諜」も同じ振付家の作品で、1人の女をめぐって男たちが争う姿をコケットリーに描こうとした作品。両作品ともダンサーが若い印象があるが、振付家のアイデアを大切にしながら作品を作ろうとしている姿勢がわかる。「阿美族宜湾村年村祭歌舞」原舞者&平珩珩(湾は中国語の漢字)は先住民族のダンスだ。中央に木が置かれている。その木を取り囲んで男女が祭の踊りを見せる。現代作家が伝統舞踊をアレンジしているわけではないのだろう。比較的オリジナルに近い作品なのかもしれない。踊っているのは先住民族ではなく現代台湾の踊り手たちだ。日本でも現代舞踊で郷土舞踊を踊るときがあるがそれに近い持ち味がある。踊り手たちのアイデンティティがどのように先住民族の文化を捉えているのかということが気になる。

(Taipei National University of Arts)