展覧会 ローザスとアンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルの25年


ローザスの展示では日本人に愛されたこの現代ダンスカンパニーの世界が
広く描かれていた。80年代から現代にかけてこのカンパニーの映像をとって
きたヘルマン・ソルジュースの舞台写真は実に見事だ。繊細な踊り手の表情と
その時代の活動を、対象と距離を置きながらも密度が濃く描写している。
映像インスタレーションの「ヴァイオリン・フェーズ、トップショット」
(2002)は床に置かれた砂に映像が投射される形でスティーブ・ライヒ
の音楽に沿って踊られる「ファーズ」のケースマイケルによるソロを見る
事が出来る。ミニマルな音楽と床の砂の粒子が調和をすることで視覚効果
が生まれてくる。最も興味深かったのが「ヴォキャブラリウム」(2002)だ。
このグループの25年の歴史を振り返り作品の振付を解析している。神格化せず
等身大に作家を見ることが出来、振付の背後にある思考に触れる事が出来る。
「池田扶美代のモノローグ」(1990)はフランス語の言葉を叫ぶ
池田の声と顔の表情の変化を描いた作品だ。現代のヴィデオダンス同様に
映像作品の中では視覚効果がそれほどトリッキーではないためコンテクストと
ディテールを見る側が熟知していることが多少求められる。素朴な表情を
描いた作品となるともう1つ身体表現が欲しいのも事実だ。

以上の2本の展覧会だが、
私もプレビューを担当している RealTOKYO http://www.realtokyo.co.jp/
の小崎編集長がOut of TOKYO 第124回「子供の国のアート」ということでかなり
辛口のコメントで横浜トリエンナーレと重ねて論じてる。学園祭的な空気は
強かった為、何がクリエーションの基準になっているかということについても
考えさせられた。政治的にわざとゆるくしているのであれば、その方向性が
明示されると良いのであるが、それも見えなくもあり、見えないことが90年代
的ともいえるのである。
いい意味でも悪い意味でも80年代以後の日本のダンスシーンの流れを表象=代表
する内容ととることが出来る。その内容と是非はどうあれ一見の価値はある。

コンテンポラリーダンスそのものものにそろそろ限界がある、いやもう少し
いけるという議論がなされる中で、もう少し時間をかけながらダンス表現が
30年代、60年代、90年代と何を反復し何を創出してきたのかということを
考えたく思った。

(共に東京都写真美術館