今年の夏

 今年は夏の終わりに帝国劇場を皇居外苑から遠望する機会がありました。パレスホテルが閉館になったとはいえ、丸の内もすっかり再開発されてきていて、新しい時代の空気が出てきています。帝劇100年という今年ですが、洋舞の公演でそもそも帝劇どころか日比谷公会堂まで足を運ぶことがないというのが洋舞100年目の現代というところなのではないかと思ったりもしているこの頃です。20代には日生劇場三越劇場もいったことがないという人がいてもおかしくないと思うこの頃です。そもそも舞踏でも閉鎖をされたアスベスト館を知らない*1とか、そういうジェネレーションが出てきている時代になってきているので、時代が時代なのだろうなと思ったりしています。

 しかし今年の夏はこれまでのような普通の日本の夏ではありませんでした。3月以後、東京を離れていくアートワールドの友人、関係者たちとの別れが多い"別れの夏"でした。私の周りでは1つのアート・コミュニティーが支柱を失い分散しました。
 また普段は帰省をしてくる海外渡航組が首都圏へ近寄ってこないし、同時になんらかの言い回しをつかいながら一度戻ってきた首都圏から海外へ再渡航していく人たちも印象的な夏でした。(その是非は問いません。)多くのアーティストたちの表現に勇気をもらいながらも、同時にクリストファー・バズビーのような有識者たちの日本に対する発言のそのコントラストに考えさせられる日々でもありました。「The Nazi Doctors」などの名著があるロバート・J・リフトンが描写をしたような90年代にかけての日本社会の延長線のような社会の中で”語られないもの”と向かい合うような日々です。(cf. http://www.nytimes.com/2011/04/16/opinion/16iht-edlifton16.html )

終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か

終末と救済の幻想―オウム真理教とは何か

 実験的なマルチメディア・パフォーマンス作品として昨年冬にロンドンのサドラーズ・ウェルズでChoreographic Installation "Ukiyo Moveable World"を英国初演(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20101222)しましたが、この作品が描いたようなトランスカルチャーな日本にもない現実の中を我々は生き日々ダンスやバレエと接しています。

*1:私は閉鎖をされた最後の日に会場にいました。その帰りに関係者とタクシーで目黒駅に行ったのも思い出の一つです。吉田悠樹彦,「さらばアスベスト館 されど永遠なりアスベスト館」(音楽舞踊新聞,音楽新聞社 2003/6/11)