震災後の舞踊

 震災の前後について、あちこちで断片的にすでに書いていますが、いずれまとめて書きます。前日には岡鬼太郎の「権三と助十」と有島武郎「ドモ又の死」をみました。岡の芝居の後味の悪さが2000年代に通じるように感じながら戻ってきたその翌日に震災がおきました。震災の翌日には活動を開始していてアーティストたちと話をしていました。少しづつシーンが平常になってきた感触がある6月末ごろまでblogという形で書く気になりませんでした。各種ソーシャルメディアでは刻一刻と世界中へ情報発信をしていましたが、そこでも日本という大きなカテゴリー、いわばクラスターを意識して活動をしていたのも事実です。
 ダンスに限らずいろいろなジャンルの人たちも5月・6月ぐらいまでいろいろ引きずっていた印象があったり、転居先が決ってこれから首都圏から退避していく人もいます。アートコミュニティに影響が出るでしょうし、波紋をなげかけることも必至です。様々な意味で、生活レベルで感じるリアリティがアーティストにとっても批評家にとってもはるかに上回ってしまっています。
チェルノブイリの記録に目を通していると、その記述はドフトエフスキーに象徴されるロシアの闇に肉迫するわけですが、それ以上の悲惨な世界を感じます。首都圏・東北で活動をしていても退避して海外や関西や南日本、北海道へいっても、特にソーシャルメディアでリアルタイムなコミュニケーションが可能な現代ではこの問題は避けることができないでしょう。特にダンス、パフォーマンス、伝統芸能も含む様々な身体表現の各ジャンルは肉体と密接な関係があり、この問題は考えていく必要があります。ダンスを通じて児童、教育といったキーワードと関わる立場にとってもこの問題は避けられないです。

 震災後の舞踊を意識的に考える試みはいろいろなジャンルで3月末ぐらいからダンスというクラスターの上ですでに始まっています。2000年代の不況の中でも豊かだった時代のダンスと異なる世界がはじまっています。
 震災前はコンテンポラリーダンスという概念が消費文化や日本の経済力を背景に華やかにもてはやされました。これから4−5年がコンテンポラリーダンスという概念から離れていく前哨戦のようになり、盛んに各ジャンルで今の20代の才能たちが油ののった30代になる2020年ごろを想定したU25前後の新人登用企画(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20101029)が盛んになってきていますが、次第にコンテンポラリーダンスという概念を脱していく事も求められます。振り返ってみれば2000年代の中場にきらびやかなプロデュースで台頭したアーティストたちは、コンテンポラリーダンスという概念が一般的になってくる中でメジャーになった、本当にこの言葉がまだ知られていなかった80年代や90年代からしてみるとやや「遅れてきた青年たち」です。そして2010年代の若者たちにとってコンテンポラリーダンスという概念は会話レベルでは時代遅れになってきています。”コンテンポラリーダンスがあったからこそ今の時代がある”といった形で逆に保守的に機能をしだしたりしている要素も見られます。そういう意味では震災後という区分は新しい時代のダンス、次代の舞踊の創出を考える上でも大切なことなのだと考えています。もちろん新人たち以上に、不遇でも健闘をしてきた中堅作家たちも時代の分岐点と向かい合い、新しい時代の活動をしてくれるのだと思っています。