さらなるネットワーク化

 若手ダンサーたちがiPhoneや3Dゲームでどんどんメディアを活用しているが、批評の側もこのスピードについていかないといけない。Twitterも私が昨年夏にNYCでこういう試みがあるよ(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20090727)と紹介した段階で、ほぼ誰も国内のダンスライターは使用を開始していなかった。私も試しにアカウントを作ってPracticalに利用を始めてみたところ、世界中のダンス専門メディアがこのツールを使って情報を配信しだしていた。欧米のみならずアジア・環太平洋も含まれる。それも新しいメディアから年代のある媒体までだ。その中の情報の迅速さと確かさに驚かされたものだった。さらにダンサーたちもこういった活動をしていた。(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20100331)日本の関係者の外部では、世界中でこういったことが同時多発的に起こっており、進行しているのである。そのギャップに考えさせられた。
 そして半年強してみたらなんと同業者たちがこのサービスを利用しだしているではないか。現場で撮影したりした映像もがんがんアップしている。現場やジャーナリズムの本質とテクノロジーの接点に敏感な人ほど熱心に使いだしている。また日本のダンサーたちもどんどん活用をしている。この適応力とキャッチアップの早さにまた驚かされた。このエネルギーと活動原理である。
 ますます地球規模で広がっている電子情報基盤におけるネットワーク・ガバナンス、インターネット・ガバナンス、集合知といった概念を舞踊批評家として活動をしていて感じるこの頃だ。またそれが重要なのだろう。

インターネットヒストリー―オープンソース革命の起源

インターネットヒストリー―オープンソース革命の起源

(内容はテクノロジーよりだがこれは良著だ。)

 Prix Ars Electronicaで仕事をしながら、批評活動をしていた経験を持つ私だが、その昔はメディアアートやインターネットの運営に関わっているグループ、ICANN(Internet Corporation for Assigned Names and Numbers)など、の動向を見ながら、その一方でダンスをみていた。その二つの世界の歩み寄りを身をもって感じるこの頃である。
 若者のスピードは早い。まして表現者であればなおさらだ。東京近郊や日本のローカル・ガバナンスとは異なるある種のグローバル・スタンダードともいうべき原理をソーシャル・ウェブを利用しながらダンスについて活動をしていると感じるこの頃だ。何より表現者の側が新しい原理を開拓していくのだから、批評を書く側もロートルな原理よりグローバルなもの、新しいものを探求することが求められるのだ。