PICNIC

 Roussewaltzのリサイタルが久々に行われた。このグループは現在のダンスカンパニーの中で、芸術的水準が極めて高い作品を上演している。
 一昨年、金井芙三枝舞踊団がファイナル公演を行い、昨年の坂本秀子舞踊団へと流れが続いていくのだが、時期を前後するように内田香のRoussewaltzがその活動を開始する。私は偶然にも学生時代に内田の「女心とハルのそら」や「ff」をみているのだが、批評活動を始めた頃に内田がフランスから帰国して最初に発表した作品「SPUR」と接することになる。エネルギーの中に潜む鮮やかな感性を興味深く思ったことを今でも覚えている。歴代のダンサーたちの中で、このグループの初期には吉原友紀、阿部由紀子といった初期の内田作品に欠かせない、また忘れてはならない名ダンサーたちが出演をしていた。この時代はまだカンパニーの中で群舞などで踊っていた所夏海は代表的な女性舞踊手になり、渕沢寛子はダンス・ミストレスになった。現在、モダン=コンテンポラリーの若手ダンサーの中で所はトップクラスである。さらなる若手たちも出演しだしている。内田の作品は初期は女性だけが出演していたのだが、「なみだ」の頃から男性が出演するようになり、バレエ、ポップダンス、モダンなど幅の広い男性たちが腕を披露している。

 公演プロは写真集のような美しいレイアウトだ。一群で空を飛んでいくジャンボジェットを遠望しているカットが印象深い。(http://www.shijimi.info/archives/2008/03/roussewaltz_picnic.html)ともに活動をする仲間たちの野心とロマンティシズム、そして20代から30代にかけての先鋭的な若者たちの日常風景と誰もがその若き日に心に持つアルカディアがここにある。全ページいずれもごくごく自然になじめるビジュアルデザインである。私は現代舞踊の矢作聡子や冴子、菊地尚子、バレエの橘るみ、西田佑子、志賀育恵らとほぼ同年代の書き手なのだが、生きてきた時代の中で接してきたものや世界として素直に受容できる部分がある。そして内田や彼女たちが打ち出してくる舞踊表現は信じることができる。もちろんコンテンポラリーダンスの批評は《同時代性》を前に押し出すことで感覚的な部分が大きくなり、また表現の側もそうなってきているのであるとすれば、戦前・戦後世代の表現から現代に至るまでの射程を踏まえながら書いていくことも重要である。この世界に書き手の側から舞踊や舞踊批評に対して新たな地平を拓いていかないといけない―もちろん、バレエやコンテ、フラメンコ、舞踏など多くのジャンルに向けても。
 詳しくはじっくり書きたいのでそちらで。
 
Roussewaltz
「PICNIC」

めぐろパーシモンホール 大ホール)