懐かしの90年代

 まだ10代の頃、吉祥寺に面白いスペースがあるから行こうということになり連れて行かれたのはヘーゼルナッツというスペースで、あの「だめ連」の前身にあたるグループだった。日本のアウトノミア運動と彼らはいわれることになる。オールナイトで話をして、吉祥寺のファミレスで明け方まで粘ったことがある。あの時代のことをネットに書いている人がいた。 http://offtrap.client.jp/j/textarchive/1998/09b-j.html
 「だめ連」が「現代思想」か何かに特集された少し後に別の仲間と遊びに行ったのは学生寮のカフェだった。東大にぼろぼろの駒場寮がまだあった時代に友だちと遊びに行ったら1Fにカフェがあった。京大の寮にあったChien Weekend Cafeのことまで出ている。両方とも行った事があるし、仲間たちが運営に関わっていたりした。その時代を思い出して思わずリンクをしてしまった。
 ちなみに外山恒一がだめ連とつながっていたのを知ったのはずっと後の後でつい最近のことである。私がヘーゼルナッツに連れていかれたのは90年代前半だから重なるはずはないのだ・・・。
ダンサーにとってもダンスライターにとっても労働と生活は重要なテーマである。ネグリのアウトノミア運動に基づく議論ではないが、それぞれの体験に基づく理論とか講義とか出てくると面白いかもしれないと思うこの頃である。
ダンスから美術全般に目を広げるとこんな本が流行しているそうだ。CORPUSの編集委員の1人も推薦をしていて、彼のアンテナの鋭さに驚かされた。
 

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

金と芸術 なぜアーティストは貧乏なのか

 「オルタナティブ・ライフ」なんて書くと、もうちょっとレトロで、そんなのは表現舞踊のモンテ・ヴェリタのコロニーでやりつくされてるよとか、戦後のアメリカを中心とするカウンターカルチャーを見よみたいな感じになるのだが、新しい生活の発案・発明は重要なテーマだ。
 モンテ・ヴェリタについては若いダンサーはマーティン・グリーンの「真理の山」ぐらいが解りやすいイントロダクションになるはずだ。戦後のアンナ・ハルプリンの活動なんかも源流はこの時代なのかなと思うときもある。

 「だめ連」の源流にあたるヘーゼルナッツ・スペースに出くわしたとき、まだ私は学生時代だったのだが、彼らがのちに「だめ」という源流にあたるような表現物(例えば彼らが出していた雑誌)や有様(生き方というよりは状態、有様といったほうが正確だろう)に驚いた。当時、何もインパクトを感じなかったのだが、後に彼らが社会的に注目をされていったこと自体に驚いた。だめ連と関係があるダンス作家についてはあまり聞いたことがない。記憶をたどるとすれば、ラインムント・ホーゲ作品に客演する前の脇川海里が一緒に飲んだということがあったらしく、当時の彼の仲間の1人が「脇川君がだめ連の人たちと飲みにいった?!」という未確認情報を語っていただけだった。だめ連もアウトノミア運動も、パフォーマンスや自由ラジオのようなオルタナティブメディアには関心があったのかもしれないが、ダンスとは接点がなかったのかもしれない。
 オルタナティブライフとダンスといえば、戦後アメリカもあるかもしれないが、現代舞踊の研究者である私としてはキャバレー・ボルテールダダイストのパフォーマンスとヴィグマンの振付に影響関係があるとか、ラバンのコロニーでの一連の活動だ。石井漠なども屋外で稽古をしている写真なんかあって、そこには戦前の石井舞踊団のスターだった石井カンナたちが写っている。21世紀初頭の日本でもいろいろやりたいものだ。