Dance Selection 2005 C プログラム 

(C) 片岡陽太 Yohta Kataoka

Kim Young-hee choreographed Japanese contemporary dancers, and
Kota Yamazaki did Korean dancers, too.
Ryohei Kondou (Condors) and Hong Hye-jeon collaborated together.
from Dance Selection 2005 by An Creative


Dance Selection 2005 C プログラム 

 Dance Selection Cプログラムは日韓友情年2005記念プログラムの一環
として行われた。韓国人の作家による日本人ダンサーへの振付作品、日韓のコラ
ボレーション作品、日本人による韓国人ダンサーへの振付作品の3種類を上演した。
 韓国人作家Kim Young-heeが日本人ダンサーへ振付けた作品「Somewhere」は
韓国人作家の振付が日本人の肉体に対して興味深い側面を思わせるものだった。
Young-heeの振付を受けたのは原田拓己、前田紀和、遠田誠、長井絵里奈、堅田
知里伊藤キム+輝く未来やまことクラヴといった舞踏やコンテンポラリーダンス
で活動をする踊り手たちだ。上半身裸体の男が舞台に現れると、ずっと静止
し客席を凝視しつづける。ノイズがかかり烏の鳴き声も聞こえ出すが、男は動じ
ない。じっと動かず客席を凝視する。舞踏などで良く用いられる技法である。や
がて男ががっちしりと足を踏みしめながら状態をかがむ姿勢となり、舞台を横切り
はじめると鍛えられた肉体が映える堅田知里が現れる。堅田は東雲舞踏など舞踏
で活動をしている踊り手だが、この作品では四肢を大きく駆使する事でゆっくりと、
しかしダイナミックに動き続ける。片足で立ち、両手を大きく広げ、客席を
見つめる女性舞踊手の表情は実に表情豊かだ。やがて照明による光のスリット
が情景を次第に変えていく中で、踊り手たちは硬質な動きを見せる。60年代の
舞踏や現代舞踊の舞台写真に見ることが出来るような肉体の表情が心地よい。
国際政治の中で緊迫した情勢にある韓国の作家の振付は肉体の背後にある無意
識や抑圧を作品にあふれる緊張感と共に反映しているようだ。白と黒の中に
肉体が置かれている情景に時折赤いライトが入ると日本人の近作に見ることが
できないような緊迫した空気が踊り手の肉体から立ち上がってくるのだ。
日本人が60年代にかつて社会にあった純愛やピュアさといったノスタルジー
を韓国の映画やアートに見ることは近年ことに多い。韓国のダンスも同様で
韓国人ダンサーの動きや肉体に日本人が失ったものをノスタルジーとしてみる
事も多く起きている。しかし実際に振付を通じて変化した一連の日本人の肉体
の諸相はノスタルジーどころか現実の韓国を感じさせた。
 Hong Hye-jeonと近藤良平による「Femme Fatale」は日韓の作家たちによる
コラボレーション作品だ。90年代以後台頭したコンテンポラリーダンスを代表
するグループの1つであるコンドルスのメンバーが舞台に現れると、舞台に
倒れたまま股間をさすりつづけたり男性同士のグループが相互に挑発
しあったりと男性ならではのこっけいでユーモラスな表現を展開する。
客席には彼らのファンが多いのか、女性を中心に笑いが会場にうずまく。
鎌倉道彦やオクダサトシといったこのグループを代表するダンサーたちの
コントのような笑いには定評がある。韓国人の踊り手たちも小柄で女性的な
ダンサーのペアやマッチョな男といずれも個性的な男性達だ。
男達が戯れ騒ぎあっていると、そこにセーラー服を着たHye-jeonが登場。
トライアングルを打ち鳴らすとダルマサンが転んだがはじまる。
和気藹々とした空気の中で共にふざけあいユーモラスな表現を見せる日韓両国
の男達はお互いの国の言葉や歌を歌いあいお互いに抱擁しあったりと明るい世
界を描き出す。笑いを通じたシニカルな情景や教養を無理強いするような無理の
あるエスプリやアイロニーは一切ない。そこには普段コンドルスが描き出すコ
ント調の作風が展開しているだけなのである。このようなダンス表現やそれを
受容するオーディエンスの背後には90年代の日本のバブル絶頂から失われた
10年へという時代の流れがあるだろう。サブカルチャーとしての漫画におけ
る「ジミヘン」や吉田戦車の様にオタク的な感覚と笑いを前面に押し出したチ
ェルフィッチュや山賀ざくろの様な作家達が現代日本のコンテンポラリーダン
スの1つの傾向である。その一方で彼らのようにコントのような笑いを表現に
織り込む作家達も1つの傾向として上げることが出来る。Hye-jeonが自身の得
意とするモダンダンス的な作風を選ばす、近藤のスタイルを選んだ理由が興味
深い。圧倒的に日本人の近藤の視線による作風であるように感じるが、それを
選んだ背後には韓国人のHye-jeonのロジックがあるように思うのだ。
山崎浩太「Caused by economy Oral to Anal」では韓国人ダンサーが
山崎の世界を見事に描ききった。舞台にペットボトルを全身につけた
男女が現れる女性舞踊手がシャープに肉体を走らせながら床をモップ
で拭いたかと思えば、男性舞踊手がゆっくりと舞台を歩き、口から水を
吹き出したりと実にエネルギッシュな作品である。注目すべきなのはダンサー
の動きの質感が日本人ダンサーの動きより際立っているということである。
韓国の舞踊界はアメリカ式の舞踊教育を採用したため、モダンから現代
ダンスのテクニックまできちんと踊れる踊り手が多い。コンテンポラリー
だけを個人個人で追求する日本人の作家と比べると、バレエやモダンダンス
のテクニックに裏打ちをされた表現力が、山崎の世界をよりのびやかで
時には緊張感あるものにしているのである。背後にはLEDのようなヴィデオ
アートがうっすらとプロジェクトされている中で、踊り手たちが見せた
Coolな表情は、die pratze「ダンスがみたい!5」等でかつて見せた山崎の
世界と同じなのであるが、山崎の表現を柔軟に受け止めながらさらに幅を
広げているようにも感じえるのだ。現代の日本のコンテンポラリーダンス
にも示唆になる様な作品である。
 いずれの3作品とも日本や韓国、アジアの現代ダンスに対してそれぞれが
着眼点と問題の提起をしているといいうる内容であり多くの交流企画と一味
も二味も違うとても充実した内容であった。

(オリベホール ソワレ)

写真:(C) 片岡陽太 Yohta Kataoka