震災とダンス・パフォーマンス

 震災後、様々な影響がダンス・パフォーマンスにもみられました。チャリティーを兼ねた公演も多く行われましたが、次第に公演も例年のようになってきたこの頃です。
 震災直後は携帯電話がつかいものにならず、フリーメールサービスやTwitterなどのソーシャル・ウェブがコミュニケーション基盤として機能をしていました。4月中旬になると反原発ということでTwitterを通じて高円寺の辺りで大きなデモがあったという情報は事後に入ってきました。このような政治的パフォーマンス以外にも震災後の危機感がステージにも現れ、大ホールからスペース、スタジオパフォーマンスに変化をみてとることができます。見る側にも演じる側にも共通の意識の変化があります。
 震災後、ダンスに限らず東京から疎開をしていくアーティストも少なくありません。特に環境問題と接点があるいわゆるエコ系のアーティストの中には東京を離れた人もいます。幼い子どもを育てているアーティストにもそのような意識があるようです。東京にいる・を離れるに限らずいえることは、この震災を経て日本社会がさらに変化をしてきているということです。
 対外的には日本の経済力の位置の変化がいわれる昨今ですが、アジアでも中華系(中国、台湾、香港、他)の伸びは著しく、韓国、ASEANの国々の伸びと向かい合っていく必要があります。これまでの思考や感覚では厳しくなってきています。上演芸術の現場でもこの影響は大きく出てきているのは実態で、バブル崩壊直後のような日本の経済力を背景とした自信やプロデュースは再考しなくてはならない状況にあります。
 私は若い才能は東京を離れても良いように思っていたりします。現代社会のコミュニケーションや意思決定、情報発信のスピードから考えると、この10年代のグローバル・ガバナンスと日本社会には距離があるように感じます。私自身はこの情報基盤の上で仕事をしていて"日本人"であるよりはAsian-nessというべきことを感じることも多いです。一昔前に国際会議に出たときは日本経済はバブル崩壊後とはいえ不透明でありながらも豊かだった時代でした。(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20070714)今はアジア各国がそれぞれ自分たちのアーティストを出したいということもあり、おそらくこれまで以上に「前世紀に現代舞踊から舞踏まで優れたアーティストを送りだしたことに対する評価」を対外的に受けることがあっても、日本の現代作家は現状では厳しい時期に入るのだと思われます。