細胞の音楽

岩渕貞太「細胞の音楽」

 スペースの空間の中央に白いリノニウムがひかれ踊り場がつくられており前後両サイドから見ることができる。天井には化学や生物の模型をイメージさせるような細い棒が連なっている。
タウンジャケットに黒い短パンのダンサーたちが現れる。上体や両足を大きく広げて動いていく。生体として人体を捉え、二足で歩行していく、両腕を空中にかかげながら移動していく、といった単純な動きを示すことで人体を生物学的に捉えようとしている。やがてお互いに支えあったり、女性ダンサーが男性ダンサーにかみつきながら動くといった形で、お互いの絡みも情感をなるだけ排除して、シンプルに生命体としての動きを繰り広げていく。
その動きはイヴォンヌ・レイナーのように流麗なダンスのフレーズを拒否して、わざと内股で歩いたり、単純にまわってみせたり、といった印象を与えてくれる。その一方で3Dヴァーチャル環境でみることができるようなアバターのような人工的な動きも彷彿とさせる。コンセプチャルな作風が作品を貫くことで一定の強度が生まれている。のりが通じる人、解る人だけに照準を絞っていくようなコンテンポラリーダンス振付家たちと異なるテイストを感じさせる。かといって幅の広い層に向けて力強くドラマを切りだしていくのでもない。構成や振付をさらに磨くことは必要だが、肉体に対してクリアなヴィジョンを提示しようとしている姿勢に好感を持てるアーティストだ。東京ではいまだに「行為」や「ポストモダン」といった概念に対する愛好癖が顕著だ。既存の概念に容易にアイデアを着地させることなく、斬新な平面を新世紀の彼方に向けて切り出して欲しい。

(1月29日 のげシャーレ)