新時代の日本的イメージ

 宝塚で楳茂都陸平が日本物舞踊劇などの仕事をしていたことについては近年研究も進み社会にさらに広く知られるようになり話題となってきている。宝塚ではなく話は創作舞踊についてなのだがどのジャンルでも若者の作品というのはいつみても興味深い。モダン・コンテンポラリーでも伝統芸能との接点を見据えた作品は多い。先日の吾妻橋ダンスクロッシングのような場でも”和風レビュー”という言葉が出てきたりしていたがコンテンポラリーダンスでも日本舞踊的なイメージが出ていることは印象的だった。邦舞の若手の創作作品となるとしっかりとした作品が多い。若い層のオーディエンスもみてみてもいいように思える作品も多いのが事実である。



第18回創作自由市場

 日本舞踊の若手の創作舞踊の会が行われた。全体として民俗性や現代との接点を追求したような作品が多かった。また芸術性の高い作品が多く出ていたことも印象強く残った。
 若柳恵華「おのころ」は古事記に描かれているような日本創生の物語を描いた作品だ。神話時代のように神を束ね杖をついた女がイザナギ神・イザナミ神による関八州の創生に挑んだ。短い時間に集約されたストーリー性とテーマもさることながらこのジャンルならではスペクタクルだ。民族芸能とコンテンポラリーダンスの狭間を感じさせたのが花柳幸舞音の「うず」だ。現代人の現実と未来への不安をテーマとした作品だが、4人の踊り手が現代音楽とともに弾けていくとエスニックな表情が現れだし、民俗芸能のような雰囲気が立ち上がってくる。やがてポピュラーな坂本龍一のピアノ演奏による”tong-poo”(YMO)がかかると70年代の現代音楽にも通じる濃密に続く和音がエスニックな感覚を立ち上げ情景を集約していく。他ジャンルとの接点を見据えた作風と芸術性の高さという面では藤蔭静寿・藤蔭瑠璃娘「夜去らず」が際立っていた。瑠璃娘が可愛らしいく少女の世界を描いていくと、背後から黒装束の女(静寿)が立ち上がり闇の不安を象徴的に力強く表現する。静寿はバレエの前田新奈とも踊ったりしているアーティストだが幅の広いジャンルへ向けた作品を出すことができる才能だ。現代舞踊のドイツ的な表現にも通じる表現だが伝統芸能のきりりとした表情も活かした芸術的に突き抜けた作品ともいえる。
 日本舞踊ならではの台詞とあてぶりで面白い表現をみせていたのは「クロスケと福子」だ。髪がぼさぼさでしっぽをだらりとした花柳錦翠美が野良猫クロスケと可愛がられてきた家猫福子の間柄を描いた。常磐津文字東久が語りと三味線を通じて現代語で可愛らしい猫たちの世界に迫るのだが演芸のようなコミカルさも伴いポピュラーでユーモラスな作品となった。なにより演技力のあるアーティストである。男性で健闘をしていたのは花柳智寿彦「To Life」だ。帽子をかぶった男がポップスとともにサラリーマンの哀愁を綴る。オーディエンスに焦点を絞り練り上げた作品だが、今日のコンテンポラリーダンスとの接点を考えるとすれば情景展開にさらに工夫をすると良いようにも思う。この二人の表現にみることができるような現代と伝統の接点から新世紀の創作舞踊は拓けてくるのだろう。
 ぽっちゃりとした藤間舞佳は「コドモノクニ〜金子みづゞの世界〜」で詩人の世界を踊って見せたし、子猫への思いを描いた若柳公子「Thank you」は朗らかな作品だ。さらに菊川春美は「恋歌春秋〜こひうたしゅんじゅう〜」で恋心を島崎藤村のテクストなどを用いながら現代的にそして古典的にそれぞれ相互に踊り分けた。藤間や菊川の作品は現代舞踊の新人の演出や描写にも通じるものがある。ラストを締めくくったのは花柳大日翠の「願」だ。二人の踊り手が扇をかたてにポップスとともにエネルギッシュに踊る。構成や展開を練り上げるとさらに焦点が定まってくるように思うのだが民俗芸能にも通じる作風は興味深かった。
 芸能や日本舞踊の様々な諸相を感じさせる作品たちだが現代ダンスとの接点を明確に持っている。洋舞史は近現代に立ち上げられた1つの物語でもある。“洋舞”に大きく貢献をした蘆原英了・光吉夏弥ですら“邦舞”には深い知識と造詣をもっていた。邦舞・洋舞という領域を形づくっている今日だが高度な専門分化の一方で踊りを広く舞踊芸術の幅の広い視点でみることが重要だ。コンテンポラリーダンスのファンもチェックをしてみると意外な出会いがあるかもしれない。
(下北沢タウンホール