マネとデュシャンをつなぐ試み

居上紗笈 ダンスソロ SAOI INOUE Dance Solo  
「黒の天使、城の花嫁」 マネとデュシャンをつなぐ試み

 舞台の上に透明なシートがひかれており隅に一本のラインが引かれている。横から居上紗笈がビー玉を1つ1つ転がしていく。シートの上は玉でいっぱいになる。すると作家は少しづつシートの上で身をゆっくりと動かしだす。背後に時折ビデオアートが投射される。砂浜の上で居上が踊る映像だ。映像の中の女とかがんでゆっくりと目の前を動いていく現実の女の間にコントラストが生まれる。やがて立ち上がると地に引かれたラインを用いながら作家は舞台が作り出す三次元のパースペクティヴを崩そうと試みるがごとくその前で動いたり背後で踊ったりを繰り返していく。舞台脇から椅子を取り出すと椅子を使ってさらに同様に立体的な視覚の図式を壊す試みをを反復していく。舞台空間の三次元性を壊そうとするこの手の表現はよく行われるのだが、空間的に舞台と客席というに対比が生まれてしまっているため、ギャラリーなどのスペースで行うと狙おうとしていることが一層明確になるはずだ。デュシャンやマネが試みた3次元の視覚性に対する挑戦ということがこの作品の念頭にあるのだが、だとすれば上演する空間で工夫が欲しいところだ。
 やがて女は白いドレスを着て登場する。流れおちる滝の映像が投射され女性の歌声が流れていく。前半はあまり動かないことから作家自身の身体性が機能をしていたのだ。しかし後半のドレスを着ていわゆるモダンダンスに近いダンスを踊るという展開では作家自身ではなく表現力豊かで鍛えられた肉体を持った踊れるダンサーを振付けることで身体性を通じた視覚表現の挑戦を狙ったほうが良いように思う。そうすることによって居上と振付けられたダンサーという対比が作中に生まれて肉体を通じた視覚性が機能をするのではないか。
 非常にコンセプチャルな作品なわけだが、ビデオ映像などメディアを使うという下りには及川廣信からの影響を感じとることができる。その一方で、作品を上演する空間や、ダンサーの身体性に対しては今一歩深い問いかけが欲しくもあるところだ。

(MAKOTOシアター銀座)