亀戸

 千葉の亀戸といえば勅使川原三郎のイメージがあるのだが、はじめてこの街の劇場に足を運んだ。千葉も多くの舞踊家や舞踊批評家が活躍する首都圏近郊の重要なエリアである。たまたまだったのだが総武線の中では主婦が東京シティ・バレエ団の話をしていた。


並木淑枝「二月のほたる」


 開演前から舞台には布を用いたセノグラフィーが広がり宙からモビール状のオブジェがぶらさがっている。ダンサーたちが現れると、戦前から戦後直後のマーサ・グラハムのような初期アメリカン・モダンダンスを想起させる動きを展開する。使用されている音もメロディーや和音が美しい楽曲ではなく、ストラヴィンスキーのような硬質な20世紀の現代音楽だ。そのムーブメントはコントラクションやリリースといったテクニックを見せるのではない。作家が生み出そうとするオーソドックスな構成や腕や肢体が切り出すシャープな動きがそのような視覚効果を生んでいるように見える。作家は西田尭に師事したようだが、いわゆる江口系のテイストはない。肉体を通じてモチーフや理念を表現しようとするという意味ではモダンダンスの肉体像をうまく利用している。人を蛍に例えることで、その輝きや人の世のはかなさといったことを描こうとしているのがこの作品だ。
 情景には一瞬だけジャズダンスを感じさせるシーンが折り込まれるが、最初から最後までスタンダードにまとめた。特に一人の女性舞踊手がソロを踊った後に、立体的にその踊り手を取り囲み舞台を描いていく中盤以後、緊張感溢れる情景展開が印象深かった。この公演には金子靖子というミチオイトウ同門会による伊藤道郎作品の再演で活躍をし、自作でも叙情的な作風を得意とする確かな踊り手が出ていたのだが、音楽と共に情景を描きだすことが多い金子の動きがこの作品では空間性を生かしたノイエタンツのようになっていたということが興味深かった。その大きな印象変化からダルクローズからラバンへという系譜やアメリカの初期のモダンダンスについて考えさせられたのは事実だ。演出と群舞構成を歩み寄らせることで、トータルな感覚や、全体の作品構成を整理するとより確かな作品になるはずだ。
(カメリアホール)