浜田ナツミ

 昨日は朝から午後までネットワーク越しにオペレーション。メッセージ・ツールでリアルタイムでがんがんにレスが入ってくる傍らでサーバを起動させる。完全にネットワーク化された組織というのがあって、その昔はUsenetで書き込みがきっかけでDigital Communityが動き出しMimeのようなアプリケーションの機能ができたというのがあるのだけど、まさにそんな感じで、Metaverseともいうべき電子空間に向けてサポートをかけていく。理論とかコモンセンスとかそういう問題じゃなくて、体験知からルールを見抜けることが大切になってくる。
 未だに90年代じゃないのだが、「全部ネットでやるな」ということをいう人がいうけれど、もう時代は違う。「全部、ネットごしじゃないと動かない組織」というのは体験したことがない人は解らないかもしれないが、現実的に存在する。昔はごく限られた人だけだったが、もう普通のプロググラマーとかメディア産業の現場レベルではすでにそうなっているのだから、次第にさらに一般的になっていくだろう。作業が終わったらYoutubeで動画再生をしてリラックス。
 今朝は寝起きで入ってきているニュース・メッセージを片付ける。宇多田ヒカルの「United 2006」のPV、特に”Traveling”が気持ちいい。

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浜田ナツミ「月の記憶」

 浜田ナツミを見るのは初めてだ。作家はジャズ、モダン、コンテンポラリーと幅の広いジャンルで活躍をしている。スダンダートといえばスタンダード(文中、スタンダードという言葉が何度も出ていたしかたないのだが、浜田の作風は”オーソドックス”とはいえないだろう。年間を通じて、ジャズ、モダン、コンテンポラリーの諸ジャンルで見られることが多い・・みたいなニュアンスだ。)なのだが、確かな構成力と作品を見せる力のある作家だ。「月の記憶」と題されたこの公演では、夜や月に対するイメージが、浜田によるソロや群舞などを通じて描かれる。ジャズダンスやモダンダンスの作家たちでもクリシェを多用する作家も少なくはないが、浜田はスタンダードな構成やムーブメントなのだが、がっちりと見せる作家だ。踊り手が手を大きく走らせ、身を動かしていく―スピーディーにターンをして足を宙に走らせるといったように。童話や幻想世界を思わせるようなシンプルでポエティックなセノグラフィーがそんな踊り手たちの姿を彩り、シーンを通じて月に対する様々な記憶を描き、織り成していく。ラストの浜田による踊りはソフトだがシャープにムーブメントを切り出すその肢体の質感が映えた見ごたえのソロだった。
 モダン=コンテンポラリー的なコンテクストからするとムーブメントに作家のオリジナリティが見えてきて欲しいというのがあるのだが、この作家の構成力は確かなもので、仮にジャズやレビューを振付けたとしてもまとまった内容をつくりあげ外さないように思える。キャストに1人か2人、次世代を担うようなスターが入っていたりしてもいいかもしれないと思ったのも事実で、スタンダードでなおかつ丁寧にまとめられている分、キャストやストーリー展開などで舞台に大きな見せ場をいくつか持たせるとこの作家の能力が作中にさらに映えるように思えるのだ。しかし、といってもそのようなすでに大きく社会に評価をされているスターがいない分、若い踊り手たちの間に緊張感がみなぎっていたのも事実で、場面展開や作品内容を集約するシーンがいくつかあればいいようにも思えた。 
 回数を重ねてみてみたいと思える作家であり、浜田自身のソロはとても充実したものであるのも事実だ。作家のこれからの展望が楽しみだ。

草月ホール