ダンスカンパニー・カレイドスコープ
The World of Kaléidoscope vol.2
「Moment, Once, Certain」
「Figure Edit」

媒体にてレビュー:詳しくは著者プロフィールを参照のこと

(マチネ スパイラルホール)


スパイラルから表参道を徒歩で移動。表参道ではヨサコイソーランをやっていた。池袋に移動。カフェで夜の取材の舞台のマチネを見てきた関係者と擦れ違う。最近、このグループと偶然擦れ違うことが多い。
夜の取材の終了後は某編集者と再会をした。


坩堝(るつぼ)The Crucible 2007ツアー
−あれから2年、もう立派なオトナ?編−


 高瀬多佳子ダンスギャラリーが主催する公演が行われた。2年前にこの作品で彼らは日本全国をツアーしているが、2年ぶりに若干のメンバー変更をして集まり同じテーマと向かい合った。
 椅子をかかえた踊り手たちが静かな舞台空間上にはいってくる。作品がはじまると若い踊り手たち1人1人がテーマを踊り、現代の若者の悩みを描写していく。井上みなは女の内面が崩れていく様をえがく。井上は表情がでてきてよい踊り手になってきた。男性舞踊手として将来が期待されている上原かつひろも青年のような世界から味わいがでてきて自虐的な世界を描く。富士奈津子は座り込んだりしながらひきこもりを描写した。作家は子どもらしい世界からテクニシャンな大人のダンサーになってきた。柳本雅寛は自由な感覚を持った踊り手だ。社会に理解をしてもらえない若者の姿を自由な味わいとともに描きだす。高瀬譜希子はからだの部位をひねったりと自虐的な世界を描く。アメリカ人のような風貌が活きてきた。それぞれが新鮮なダンスシーンだ。
 とつぜん、ロックンロールのレッド・ツェッペリンが鳴り響きだす。ダンサーたちは一斉に身体をシェイクする。高瀬の瀬の振りに時々見えるアメリカンな肉体の姿が気持ちよい。肉体たちは一列になり言葉で同じフレーズを繰り返す。「前」「後ろ」「前」「後ろ」、言葉が響くとその指示そって動く―まるで社会に適応をしていくように。そして1人づつ暗闇の中へ消えていく。高瀬は突然シャツをめくりおなかをみせると空気をいれてとぼけたポーズをとる。対する柳本も演技が作りだす肉体の表情で迫る。高瀬が椅子の上に座るとシンメトリーがつくりだすユニゾンのように踊り手たちは左右に広がり大きく踊る。井上の女としての顔、上原の演技力が見事だ。若者の1つ1つの表情が重なり合った後、高瀬多佳子が登場し、あたかもまだ二十歳前後の高瀬譜希子が近未来に成熟した女となった姿を思わせるように踊り終演する。
 海外のダンスシーンではスタンダードな立派な作品である。しかし正統的過ぎるほど正統的な作品であり若干のひねりもあっても良いように感じた。


(ソワレ 東京芸術劇場小ホール2)