貝谷八百子ブロンズ像

夏の暑い盛りに京王井の頭線で下北沢近辺にいると、多くの舞踊批評家、舞踊史家が書いている第一次東京バレエ団結成、「白鳥の湖」へという流れをどうも思い出してしまう。昭和21年の今日の夕方17:00から旧・帝国劇場で上演されたのが「白鳥の湖」だ。


貝谷八百子ブロンズ像除幕式

日本の「白鳥の湖」の記念の地ともいうべき場所で貝谷八百子のブロンズ像の除幕式が開かれた。昭和20年の今日、長崎に原子爆弾が落とされた。現在でも活動する舞踊家の中にはこの時に被爆体験を持っている作家もいる。そして同年15日に終戦の日を迎える。昭和20年という年は舞台芸術にとっては悲惨な年で、終戦後も公演記録は数少ない。
 その1年後の昭和21年の8月9日の今日夕方17:00から帝国劇場で初日を迎えたのが第一次東京バレエ団の「白鳥の湖」である。キャストはダブルキャストで島田広、関直人、松尾明美、貝谷、小牧正英、松山樹子らが出演している。(初演時は谷桃子日劇にいたが、後に東京バレエ団の公演を見てその舞台に加わるのだ。)スコアは小牧らが上海から持ってきたもので、オーケストラピットは山田和雄が組んだ。舞台監督は田中好道だった。そのリハーサルを行ったのは貝谷のこのスタジオだった。世田谷の東松原の貝谷バレエ団の稽古場は「白鳥の湖」に縁が深い場であるということで、田中の息子の手によるブロンズ像が本日除幕式を迎えた。除幕式の開始はその業績を記念して17:00からだった。

 貝谷八百子は福岡の名家に生まれた。九州に公演旅行にきていたエリアナ・パヴロバを子どもの時に見ている。文化学院に入学するために上京しパヴロバにも習う。昭和12年にバレエ団を結成、昭和13年、わずか17歳で歌舞伎座を借りきり第一回公演を行うのである。その時代に車で稽古に通うような名家だった。兄の貝谷和昭と八百子はすでに戦前のこの時代の舞踊界で大きな活躍をしている。
 戦後の第一次東京バレエ団の「白鳥の湖」で貝谷はオデットを踊っている。記念の碑は白鳥の両翼を形描いたものであり、貝谷の肖像がはめ込まれている。表面には「白鳥の、胸に抱かれて、夢永遠に」という碑文が彫られ、裏面には「白鳥の湖」の初演メンバーの名前が記されている。 
 「サロメ」、「シルフィード」、「シンデレラ」といった名作の日本初演に縁深い福田一雄をはじめ当時の関係者が多くつめかけていた。また会場には故人の写真やポスターなどと共に舞台で使われた白い美しい白鳥の羽が飾られていた。

(17:00 より 貝谷八百子記念 貝谷八百子バレエ団 東京本部 http://maps.live.com/default.aspx?v=2&cp=35.660784~139.652971&style=h&lvl=16&tilt=-90&dir=0&alt=-1000&encType=1 )


昔は東松原はお店が一軒しかなかったようだが今ではすっかり閑静な都心の住宅街となっている。除幕式の前には夕方の世田谷の路上を少し散策した。