難しい時期

 時期的に微妙なのがいわゆるポストモダン世代がそろそろ50代や60代になってきているということだ。書店の訳書の棚を見れば解るのだが、デリダフーコー、リオタール、なんでもいいが、どんどん細かく精緻に翻訳紹介されるのだが、新しい展開がそれほど強くないのだ。主だった書き手は「GS」や「エピステーメ」、「遊」といった時代からそれほど変わっていないといいきれなくもない。そうすると、リオタールだったらリオタールを金科玉条のように信奉しているタイプとかも安易に想定できる。さらに新しい論考はもう書店などになく、ネットに電子情報として散在しているような事態にもなってきている。舞踊論、舞踊研究も下手をすると、最新の情報はオンラインに展開しているということになり、若い踊り手は必死でもそっちを押さえた方がいいという状況にもなってくる。国内であれこれやるのも重要かもしれないが、オンラインで本人とSkypeで話したりネットでコンタクトが出来る時代が今なのだ。私自身がそうしてきたのだが、講義で使われている著書の著者本人とネットで話せて、教師より先に情報をPDFなどで送ってもらえる時代だ。舞踊教育の現場も大きく変わっていくだろう。作品をコンペに出す一方で、自分でフリーのStreaming ServerをダウンロードしてInstallすれば、著作権の問題があるとはいえ、自作の映像を世界に向けてリリースできる時代である。Macなんか最近はパッケージでWebServerをOSと一緒に扱っていたりする。
「肉体の内部」とか「内面」といったダンスを論じるときのフレームも少しづつ変えていかないといけないように思う。きちんとした良著を翻訳紹介する必要があるようにも感じるが、それ以前に新しい情報がWebで出ている分、そういったことも若い踊り手たちはチェックすべきだと思う。グローバルな現代なのだから、Googleで”Dance Research”とか”Performance Studies”とか検索してあれこれチェックすればいいのだと思う。その一方で、勿論プリントメディアと放送メディアしかなかった時代に先人がどのような作品や理論を展開したのかということを知っておく必要はあるだろう。