ロミオとジュリエット

松山バレエ団 「ロミオとジュリエット


 悲しみ、深く慟哭し、床に崩れ落ちる男。薬を飲んで別途の上で眠り続けるジュリエットを見て、死んだと誤解することで自殺をしようとするこの清水哲太郎の演技力もさることながら、男の死後に森下洋子が乙女の悲しい愛を清らかに肉体で描く姿が心に刺さった。演劇でも年間を通じて数多く上演される本作だが、この第三幕のシーンは近年のこのバレエ団の公演やこの作品の上演と比べてみても秀でていた。シェイクスピアの悲劇に基づくこのバレエの現代性を問うとすれば、この男女の情念をつかみ描いた森下洋子の演技にあるだろう。その脚が空気を切って宙へと高く上がると、その小柄な肉体から純粋な乙女の生き様が立ち上がってくる。テクニックと豊かな身体条件に恵まれた現代の若いバレリーナたちには出来ない演技と、現代を生きる一人の作家の視線を伴った普遍的な愛への賛美がそこにある。死んだ男の傍らで悲しい愛を踊り上げたかと思うと、自らも死の淵へと歩んでいく。
 森下は戦後を代表するバレリーナの1人だ。月日をかけて練り上げた世界が清純な愛を綴りだす時に肢体から溢れだす。蘆原英了や佐藤朔といったモダニズム世代は近代文化としてのバレエを論じた。現代でもバレエを論じようとしているとポストモダンの現代では忘れ去られようとしている古き良き「近代性」というニュアンスが強く現れてくる。森下の場合は一時代を形作った踊り手だが、「シック」や「モダン」といった多くのバレリーナが陥る懐古趣味やハイソさに耽溺することもなく、自身なりに現代性を捉えようとしている。悲劇の慟哭の深みをしっかりと捉えながら、森下の演技は自由と愛という普遍的な命題をしっかりと描き出していた。


Bunkamura オーチャードホール